廃遊園地

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廃遊園地

次に起きるとそこは、やけに見覚えのある場所だった。幼いころに何度も訪れた遊園地の前、駐車場のベンチに座っていた。僕は回転する飛行機の乗り物が大好きだった。もう閉園してしまっていたはずだ。どうして、こんなところにあるんだろう。 もしかするとまだ夢を見ているのかと疑ったが、隣に風志朗くんもいるから、一応僕は起きてはいるようだ。 「これ、僕が小さい頃にあった遊園地なんだ。よく遊びに行ってたけど、もう運営会社が倒産して、ジェットコースターとか、観覧車とか、取り壊されてるはずなんだけど…」 そして跡地はショッピングモールとその巨大な駐車場になっている。高校の時、こうも街は変わってしまうのかとおセンチな気持ちになったものだ。 「常世には現世の土地の写しが現れることがあります。この場所は、人がたくさん訪れたのではないですか?そういう場所は写しができやすいと聞きます」 僕は遊園地に入ってみた。風志朗くんはそわそわしながらついてくる。 「ここはどういう場所なのです?何やら奇怪な建物ばかりで物々しいですが」 「風志朗くん、遊園地知らない?あれに乗って遊ぶんだよ」 不思議そうにあたりを見回して、閃いた顔をする。 「あぁ、朱越の西の森に、ブランコと滑り台のある公園はありますよ」 「ブランコとか滑り台とかの、もっとすごいやつだよね。まあ、ここのは動くかどうか」 誰もいない遊園地。アトラクションは新しくもなく、かといって朽ちている訳でもない。ちょうど、僕にとって一番思い出深いときの姿をしている。青空に、ひときわ大きい黄色の観覧車が映えた。 回転飛行機の前に来た。僕はあの頃のワクワクした心地を思い出し、年甲斐もなく浮き足立った。同時に、なぜかたまたま、ここにはあるように見えるけれども、これは現世にはもうないのだという寂しさを覚えた。乗り場のチェーンを触ると感触はあった。 「平井が望めば、飛行機、動きますよ。私も遊びたいです」 風志朗くんはふわふわ飛んで乗り場の階段をすっ飛ばし、赤い飛行機に乗り込んだ。早く乗れと僕を急かす。今までの道のりで、ここは摩訶不思議の曖昧な世界で、目の前のものはすぐ消えてしまうのだと思っていた。この遊園地も幻だと思ったのだが。 「どう動くのですか?見せてください!」 「どうって」 乗り場のチェーンを外して、僕も一番近くの飛行機に乗り込んだ。だが僕は動かし方を知らない。確か、乗ってしばらくしたらアナウンスがあって、動く合図が鳴る。そこからゆっくりと飛行機が回り始め… 「フライタワーへようこそ!安全のため、シートベルトをお締めください」 僕が思い出した途端、無人のはずの回転飛行機から若い女性の声でアナウンスが流れる。びっくりして管理室を見るが、やはり無人だ。僕の記憶の通りに、飛行機は回りだす。 「わあ、平井!動きましたね!どうやるんですか!」 このときばかりは冷静沈着な風志朗くんが小さい子みたいにはしゃいでいた。どうやら僕の思いで動くらしい。フライタワーは、中央のタワーから伸びたアームの先の飛行機が回り、コックピットのボタンで前の飛行機を打ち落とせる仕組みなのだ。一回目は僕と風志朗くんの飛行機が遠かったから回転するだけで終わった。二回目は僕が前に、風志朗くんが後ろの飛行機に乗った。僕はずっと打ち落とされていた。前後を逆でもう一回。風志朗くんは始終楽しそうにしていた。無人のアナウンスは何度でも僕たちを飛行機に乗せてくれた。 二人だけの遊園地でアトラクションに乗りまわっていた。初めての遊園地にはしゃぐ風志朗くんにつられて、僕もすっかり童心にかえっていたようだ。ふと、どれくらい時間がたっただろうかと思う。そこから時間が動き出したように、ないはずの日が傾いて影を長くした。僕はここが現実でないことを思い出した。 この遊園地があったころ。僕が回転飛行機に夢中だったころ。両親に存分に甘え、友達ともよく遊び、不安なことなど何もなかったころ。好きなものが多く嫌いなものが少ない子供時代は、永遠に終わらないように思っていた。もう一度味わってしまったら、離れがたい甘い思い出だ。もうちょっとだけ、あと少し、退場を先延ばししたくなってしまう。 僕は気づかないふりをして風志朗くんをサイクルモノレールに誘った。モノレールが一馬力で進むことに気づくと、風志朗くんは全然漕いでくれなくなった。 次のアトラクションに誘ったら、風志朗くんは困った顔をした。 「帰りたくないとか、思っていますか?」 風志朗くんの輪郭が金色に縁どられている。 「日は傾いているのに、ずっと沈みません。ここは平井の心ひとつで変わるのです。夜になってほしくないと…離れたくないと思っているのではないですか?」 ベンチに腰掛けた。脚の影が嫌に長く伸びる。 「わかっちゃうんだね。そう、あの頃はよかったなって。今は面倒なことが増えちゃったんだ」 夕焼けが陰る。風志朗くんが隣に座った。 「私も戻りたい頃がありますから。けれど平井、ここは常世で、これは心地よいまやかしです」 沈まない西日と風志朗くんは気長に待ってくれた。朝から遊んでも飽き足らず、ママに急かされ、しまいにパパに抱えられて帰っていたのはこのくらいの時間だったっけ。ああ、二人に心配かけてるだろうなあ。 「そうだね。そろそろ帰ろうか」 斜めで止まっていた日が落ちて、心地よいまやかしの遊園地を照らす。あたりが泣きたくなるほどの黄金に輝いた。 「この場所も、平井に思い出してもらえて嬉しかったと思いますよ」 遊園地の外は何もない空間だ。死者の世界は夢のようにふわふわしていて、怖いことも痛いこともない。時折見たい幻影が現れる。常世は案外、魅力的なのかもしれない。こんなことだから、現世の行方不明の中には、本当に神隠しにあって、うっかり常世に溶けてしまった人もいたのではないか。 「平井は、もう大丈夫ですね。最後はお馬に乗りましょう」 「うん」 僕はメリーゴーランドの記憶を引き出して、それを動かした。ざらざらしたオルゴールの音と共に夜の景色が回転する。 「ねえ、風志朗くんは、どうして僕を助けてくれたの?」 メリーゴーランドの白馬に上機嫌で跨る風志朗くんに聞いてみる。メルヘンな装飾に対して、その面持ちはどことなく武将風だ。風志朗くんにとって、僕は他人だ。人間一人見捨てるくらい、しょうがないことではないのか。 「平井は、おかえりを言ってくれる人のところに、帰ったほうがいいです」 答えになっていない、平穏な声。黒い瞳に、メリーゴーランドのオレンジの光が反射する。 「さて、帰りましょうか。楽しかったですね!」 遊園地がショッピングモールになっていても、僕がいるべきは現世だと思った。帰りたいと願った。メリーゴーランドは止まり、遊園地は消える。そこは薄いピンク色の空が広がる、ただの広い平原になった。
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