司水菫

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司水菫

三姉妹にはそれぞれ花の名が宛てられていた。 上の娘から、百合(ゆり)椿(つばき)(すみれ)。彼女らの両親は年老いていた。 姓は司水(しみず)といった。 月のない晩のこと。 三人揃って街へ行くと出掛けた娘達が、一向に帰らぬのである。両親は狼狽し、方々を探し回ったが見つからなかった。 夜更けに百合と菫だけが、ぬらぬらとどす黒く濡れて帰ってきた。 「引き摺り込まれた」とだけ二人は告げ、あとは何も語ろうとせず青褪めているのだった。 椿は、それから二度と戻らない。 * 私が遠い将来化石になったとき、一体誰が私を正しく復元してくれるのですか。耳の薄さや唇の形は忠実ですか。 形に残らない部位は瓶詰めにして、というのが椿の常々の主張だった。 耳と鼻はホルマリンに漬けてよ。だって、軟骨は残らないもの。 「でも」 そこで彼女は笑う。 「行方不明になって、その先で死んでしまったら実体まるごと無くなってしまいそうね」 椿は妹の私から見てもどこか不思議な、選ばれし人間のような雰囲気があった。二人いる年子の姉のうち歳の近いほうの姉が椿だ。二年前に三姉妹揃って川で溺れて、椿だけが助からなかった。今は居ないことになっている。おかしな話だが、どういう訳か私以外の家族全員、椿の存在そのものをすっかり忘れてしまっているようなのだ。元々高齢だった両親は、そもそも情緒全体が不安定になってしまった。あまりに椿の話題が出ないので、間違っているのは私の記憶の方なのではと(うたぐ)ってしまう程である。両親は事情があるとして、長姉の百合は薄情だと思う。百合は、あのとき一緒に川に落ちて溺れた癖に、あの時のことをなにも覚えていない。覚えていないどころかあれ以来人が変わってしまったようにすら思われる。けれど私の方は詳細に至るまで椿との記憶があり、あれが幻だったとはどうしても思えないのだ。 椿はそう──本人の言葉を借りるならば、()のような美しさを持つ人だった。椿は蝶よりも蛾を好んだ。 「フランスでは蝶でも蛾でも、どちらもパピヨンと呼ぶのよ、区別をしないの。どちらも美しいから」 孵化したお蚕様を見たことがある、あんなに無垢で純粋なものはないわ──、彼女が好きなものについて語り出すと途端饒舌になるのである。 「蝶の綺麗さは、そうね、綺麗は綺麗でもスタンダードでしょう? でも蛾は人を選ぶのよ。ちょっとクラシックで妖しい求心力がある。これを直感的に美しいと思える人はそれだけで選ばれた人間だわ」 うっとりとどこかを見つめ語る椿もまた、私の目には選ばれた人間のように思われた。けれど内面は複雑そうで、どこか生き辛そうだった。 私が思うに、死にたい人には二種類いる気がするのである。 辛いことにより死にたい人と、まず死にたいが根底にあって没落してゆく人と。椿は後者だと、私は思った。 ── 嬉しいことから、不要物とみなされて削られていくみたい。 いつか椿はそう言って泣いたことがある。だったら生きていくのになんの意味合いがあるのと。 どうにもならないそれを、誰かのせいにしたくて堪らなくて、でもそれをぎりぎりの際で耐えている。そういう椿の侘しさを、彼女と同じ歳になってなんとなく悟った。 椿をうしなって悲しい、というよりかは、私の感情はもう少し複雑だった。 あの日どうして三人揃って街へ出たのだったか。ただ、大きな川を跨ぐ橋のある道を経路に選んだのは、どうしても水の引力に逆らえなかったからだ。 多量の水のある場所に魅力を感じてしまうのはなぜだろう。百合も椿も私にも、その感覚は共通していたように思う。 自分では太刀打ちできない水量に圧倒されながらもなぜか心は引き寄せられる。滔々と流れる大河。氾濫寸前の河川ならなおのこといい。危険ではないぎりぎりの際に佇んで、そのほとりにしゃがみ込んでいつまでも見つめていたい。見つめ続けて、そのままゆるやかに眠りにつけたなら。 切れ目のない恐ろしさ。自分がそこに親和できない寂しさ。私は何度でも思い出す。 あの日の橋の上、百合が椿の、椿が私の先を歩いていた。麻のひとえと足袋の間から椿の白い足首が覗いた。かかとのすぐ上のあの筋、あれは何という名前なのだろうか。私はそんなことをぼんやり思っていた。 筋を見ると、生きている、と思う。作り物ではない命ある存在なのだと。 首の筋、腕、顳顬(こめかみ)の。中でも私が好きなのは件の踵上の部分だ。 それ以降、唐突に記憶がすっぱり切れる。切れた途端の混乱。混乱は無秩序を生む。拡がってゆく。気が付いたらひんやりとした水の中。息が苦しかった。視界が不鮮明だった。でも、気が付いたら月のない夜空の下、百合と私は柔らかな砂の積もった岸にいた。 椿だけが助からなかった。 いや。助からなかった、のではなく。 椿は。
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