番外

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番外

『お正月』 「眞秀、初詣行こ」 明日真の腕が弟の肩にしな垂れ掛かる。その絡みつく腕を払うように退けた眞秀はつんと冷たい目で機嫌の良い兄を見下ろした。 「行かねえ。一人で行け」 「あ、ひっでえの。可愛い俺が人混みで揉まれんのそんなに見てえかよ」 「俺を人避けに使う気だろ」 「今じゃなきゃその体格どこで役立てんだよ」 「無駄にデカくなったくせに」と眞秀のよく育った上腕二頭筋に頭を預け、額をぐりぐりと擦り付ける。こういうところが可愛いと思うし、弟に甘える以外の他意なくこうした態度を取るところが憎たらしくも感じた。 「いいじゃん、お年玉やるし。ちょっといいもん食い行こうぜ」 「お前に貰う金はろくな物じゃないから要らない」 「金は金だっつーの」 しれっとした態度の明日真に歯噛みする。シビアな価値観を持つ兄の言葉にはそれはそうだと思うこともあるが、何度言葉を交わしてもこの食い違いだけは認められなかった。 しかし結局、眞秀は兄の施しを受けるしかない。何を言わずとも勝手に庇護対象として施してくれるのは明日真の美点であり、その延長にジャイアニズムを持ってくる悪癖でもある。弟は兄によく従うもの、とは彼の言葉だ。 「じゃこの間渡したイヤホン返せよな」 「もう使ってるから返品不可だ」 「中古で売るから関係ねえっての」 眞秀がため息を吐く。肩が上下すると、腕に頭を預けていた明日真の頭がずるずると落ちて来た。二人がけソファに並んで座った状態のまま、明日真が眞秀の太ももに頭を載せる。仰向けに体勢を変えたあと逆光に目を細め、表情の見えない弟から顔を背けた。 「本当に返してほしいのか?」 「んー……やっぱ要らね」 クリスマスだからと勝手に買って渡しておいて、手元に取り戻したらそのまま持っていてもくれない男だ。きっとこの言葉だって本気で取り返そうとは思っていないのだと眞秀にはわかっている。 「要らなくなったら勝手に処分しといて」 「俺は要らないとは言ってないだろ」 不要なものは手元に置かない人間だ。物にも人間にもたいした執着は見せない。欲しいとねだられればそのまま与えるし、要らないからやると物を横流しするような奴でもある。 兄と弟という繋がりが無かったら、きっとどこかで明日真は眞秀に興味を失くす。 「外出ねえならやることないよな、ヤる?」 「テレビでも観てろ」 テレビ画面から目を離さず冷たく遇らうと、明日真の頭が視界の端で蠢いた。不服の意を表した男が股座に顔を埋める。 「ッ、おい!」 「お前はテレビでも観てろよ」 部屋着にしているスウェットのゴム部分に噛み付き、ずるずると徐々に頭を下げていく。下着の前開きが完全に露出する前に頭を掴んで阻むと、痛みで明日真が呻いた。 「痛って! やめろ禿げんだろ!」 「ならお前が先に手離せ」 諦め悪く脱ぎかけのスウェットに手を掛ける兄の手を叩き落とす。攻防に決着が着いたと同時に、明日真は膝に顎を乗せて訴える路線を変更してきた。いい歳した大人の、可愛らしさを前面に出さんばかりの表情と仕草に苛々が募る。 「なー、駄目?」 「脳までピンク色になりやがって、母さんがそろそろ帰って来るの忘れたのか」 「あ」 馬鹿、と兄を罵ると同時にスマホから簡素な通知音が鳴った。同じタイミングで音がしたから、家族から来た連絡であることは画面を見ずともわかった。案の定スマホを見れば表示されたのは母の名前で、帰りが遅くなる旨のメッセージに目を通してにんまりと笑った。 「で、ヤんの?」 「だからしないって……」 「じゃ、今年も姫はじめは眞秀以外とになるな」 「…………30分で準備済ませろ」 「モラ旦那はウケねえぞー」 足元に侍っていた明日真が立ち上がって膝上に乗り上げる。腰に手を回して唇を口付けで塞ぐと、ほんの少し驚いた顔をして明日真が動きを止めた。驚きはしているが満更でもない表情で、もちろん拒否の気配は感じられない。大方今は不在の母親が何時ごろ帰ってくるのかを計算しているのだろう。まだ大丈夫だと結果に至ったのか、甘える猫のように動きを大胆にして厚い下唇を甘噛みする。 一度唇を離すとくすくすと控えめで楽しげな笑い声が耳に残った。 「離してもらわなきゃ準備できねえよ」 もぞもぞと腕の中で動くので、それを咎めるために唇に齧り付く。先ほどされていた甘噛みより強い力で、唇は赤く血が滲んだ。 「痛ッ」 「……やっぱ気分じゃねえ」 そう言ってしまったのは間近で目にする兄のピアスが目に入ったからだ。 彼の耳に収まるピアスはいつも種類が違っていて、その全てが男からの貢物であることは知っている。ピアスだけでなく指を飾る貴金属も流行りのデザインが更新されるたびに変わる腕時計もそうだ。 昨日までは、その薄い耳たぶを飾る装飾品は眞秀が渡したものだった。頼んでもいないが欲しい物をもらったから、そのお返しにと安物を渡したのがクリスマスを少し過ぎてからの話。年が変わるほんの三日、四日前のことだろう。センスいいなと褒めてくれた兄の表情は喜んでいたように感じた。欲目だろうか。 明日真はむっとした表情をしたが、結局文句は言わなかった。あっそう。とさして興味なさげに言うと、そのまま膝を降りる。 「やっぱ初詣行こうぜ」 「行かない」 しかし「お前いないとどさくさに紛れて痴漢されんだよな」と嘘か本当かわからないことを言われて渋々ついて行くことになるだから、眞秀は兄に甘い。 コンビニに行くような気軽さで下だけ履き替えてスウェットの上にコートを羽織りマフラーを巻いただけの眞秀は準備に時間のかかる兄を待つしかない。その間に思考はどんどんと煮詰まって嫌な方向へ流れていく。 手放したのだろうか。ほしいとねだられれば躊躇いなく与えてしまうような奴だし、貰ったものの横流しだってするしそれでも不要なものなら質に入れて愛を金に換算するような男だ。 有象無象の一つになることがわかっているから、装飾品の類は渡したことがなかった。渡さないと決めていたのは自分だし、渡したのも自らの選択だ。来年になればお前を連れて家を出ると宣言してから、兄と弟から何か違うものに変えられる気がしていた。その気になっていたのは自分ばかりだったと、最悪なことに気付かされてしまう。 明日真が眞秀を構うのは明日真が兄で眞秀が弟だからだ。 ずっと兄に守られて育ってきた。だからどんなに見境ない人誑しでもわがままでも嫌いになれないし、憎たらしいほど好いている。大人になれば今度は自分が兄を守れるものだと、そう思い込んでいた。 「……」 「あ? どした眞秀、蹲って。気分悪いか? 外出んのやめる?」 ぐるぐると思考の煮詰まる眞秀をたっぷり30分は待たせた明日真が声をかける。顔を向けた先では、シーリングライトの光を反射して耳元で見覚えのあるピアスが光った。 「……それ、」 「お、気づく? やっぱ眞秀は他の男とは出来が違うのな。いーだろ、俺のお気に入り」 嬉しげに目を細める兄を見て、かろうじて「他の男と比べんな、馬鹿」と言うのが精一杯だった。
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