第8章 ご主人さまは絶対

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「じゃあ、大晦日は俺、お屋敷に泊まりに来てやるよ。それで一緒に年越ししようか。二人で蕎麦食べて元旦にお雑煮食べよう。それから車で初詣に行くとか。…うん、めっちゃ楽しそうだな。決まり。そうしよう、眞珂」 いかにも名案思いついた、みたいな顔つきで深く頷く哉多。何なんだそれ。自分で自分の言葉に納得するな! わたしは肩を窄めて車窓の両側に流れていく枯れ果てた冬の木立を眺めながら素っ気なく応えた。 「うん、多分ね。わたし本人がどうこうと言うより、まずそれは茅乃さんが許可しないと思うよ。何がなんでも彼女の屍を乗り越えてでも、って気があるんなら。…まあ、試すだけでも試してみれば?」 もちろん、哉多はそんな提案を茅乃さんの前に差し出すことすら出来なかった。それはまあ当然か。 それ以前にしかし、わたしの年末年始の身の振り方についてはほどなく呆気なく決着がついた。 「…眞珂。大変申し訳ないんだけどさ。大晦日と元旦だけでいいんだけど。このお屋敷で留守番頼める?寂しい思いをさせて悪いと思うんだけど…。なるべくすぐ戻るからさ。わたしも」 「全然大丈夫ですよ。どっちみち行くとこないし」 やっぱりここに誰か留守番としていた方がいいのか。と納得して軽く請け合うと、彼女は実に済まなさそうに弁解を重ねた。 「いつもは澤野さんに多めに作り置きをしてもらったりして何とかするんだけどね。あの人に食事を用意する必要があるから…。っていうか、放っとくと下手すると作り置いてもほとんどろくに手をつけないんだよね。だからわたしが年末年始もちょくちょく顔を出して、いちいち盛りつけて声をかけたりしなきゃいけないんだけど。例年も」 何気なく聞き流してた頭に一拍置いて茅乃さんの言葉が意味を持って浸透してきた。…そうか、柘彦さん。 そりゃそうだ。何で失念してられたんだろう。あの人だって帰るところは他にない。ここで年越しをするしかないんだ。 家族だってもういないって話だし。いや普通に考えたら茅乃さんの実家の下鶴家だって彼にとっては血の繋がった親戚のはずだけど。 茅乃さんが里帰りするのに同行してそっちに顔出したりはしないんだな。逆に茅乃さんのご家族もお正月にここにお年始に来たりはしないってことか。…親戚とはいえ、もう茅乃さんがここで働いてる以外はほぼ交流もないってことなのかな。それは柘彦さんの方の意思でもあるのかもしれないけど。 一方的な思い入れだとわかってはいるが、それでもこの広大ながらんとしたお屋敷でたったひとり年越しをする彼のことを想像すると胸がきしきしと痛む。わたしは真剣な顔つきになり深く頷いて請け合った。 「大丈夫です、わたしは別に行くところもないし。せっかくだからここで静かに勉強にでも集中しようかなと思ってるので、お食事の用意くらい問題なくできますよ。ていうか茅乃さん、久しぶりの休暇なんだから。三ヶ日くらいゆっくりしてきても平気ですよ?…わたし、以前よりかだいぶ家事こなせるようになったし。作り置きだけじゃなく、多少なら何か作ったりとかもできますから」 それでもさすがにおせちの準備は澤野さんがひと通り抜かりなく準備しておいてくれた(もちろん後学のためにわたしも一緒に手伝わせてもらったけど)。これはやっぱり心底からありがたかった。 ぶっちゃけた話うちでまともなおせち料理が出てきたのってほんとに母親がまだ家にいた頃までなので。正式なお正月料理がどんなものなのか、うろ覚えにしか記憶にない。こんなんで柘彦さんにきちんとしたものを用意してあげるなんてできるわけないから。 日本人なら普通に誰でも知ってそうな常識が天から備わってないってやっぱりなかなかつらいものだ。まあ自覚があるだけましで、これから何とか少しずつ世間一般の知識を取り入れて追いついていくしかないのだが。 「眞珂ちゃん。このお重に入ってるのが一月一日の朝の分よ。丸ごと冷凍庫に入れておくから前日の夜に外に出して自然解凍してね。お雑煮はシンプルでいいわ、出汁さえしっかり取れば充分美味しくなるから。いつも入れてる具材は参考までにここにメモしといたわよ」 「あ、はい。…助かります」 真剣に食い入るようにメモに見入るわたしにプレッシャー感じ過ぎ、と内心呆れたのかもしれない。だけどそれは表に出さず澤野さんは明るい声でわたしの気を引き立てようとフォローしてくれた。 「まあ、多少例年と違っちゃってても大丈夫。柘彦さんは細かいことをうるさく言う方じゃないから。むしろ鷹揚というか、優しい方よ。ああ見えて食べ物に関しては特別好き嫌いもなくて全然我儘仰らないから。ミスしたらどうしようとか、そこまでびくびくする心配する必要ないのよ」 「あ…、そう。なんですか」 彼が細かい拘りがなくて鷹揚な人なのは何となく接した感じでわかる。だけど食べ物の好き嫌いや苦手がない、ってのは意外だった。勝手な印象だけど、味覚が敏感すぎて食べられないものや生理的に受けつけないものが結構ありそう。って思ってたかも。 でも、出てきたものを我儘言わず何でもありがたく黙って頂く、ってのも考えてみれば柘彦さんっぽいかもしれない。
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