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文明が崩壊した世界
ドゥームズデイ――いわゆる“世界終末の日”と呼ばれる日から三カ月が過ぎた。
テレビのチャンネルはひと通り見れるが「次の放送は○□時からとなります」といった断続的なものとなりつつある。
ネットも数時間つながらない時があり、つながったとしても異様に重い場合がほとんどだ。
テレビもネットも話題はいつもひとつ。そう、怪物はどこから来たのか? どう全滅させるか? そんな話ばかり。
無理だろう、と俺は思う。
ドゥームズデイ当日、なんの前触れもなく世界中に現れた怪物は百億ともいわれている。
あいつらの姿はひとつではない、ゴブリンの生首にコウモリの翼がついたヤツからタラバガニを象みたいに大きくしたヤツまで多種多様、ポケ○ン顔負けに種類が多い。
そしてやつらは人間の脳ミソを喰う。
一度その食事現場を目の当たりにした事がある。
ドゥームズデイから三日後だったと思う。
ショッピングモールの前に“リフォームのなんたら”とかいう営業車が横付けするとおっさんが飛び出して来た。
そしてせわしなく周囲を見ながらガラス戸の前まで来ると勢いよく叩き始めた。
たまたまその近くを通り掛かった俺が鍵を開けようと近づいたその時、電柱みたいにでっかいムカデがおっさんの後ろから現れた。そしてガラス戸を叩くおっさんの頭に噛り付くとあっという間に脳ミソを吸い尽くしてしまった(見開いた目が眼窩の奥に一瞬でしぼむ光景は今でも瞼の裏に焼き付いている)。
昆虫や両生類、爬虫類に似たこいつらの体は恐ろしく硬い。
テレビに映った警察官が、手持ちの拳銃をやつらの一匹に全弾撃ち込んだが傷ひとつつけられなかった、と言っていた。
そんなのが百億、しかもどんどん増殖してるって言うんだから全滅は無理だろう。
まさに人類の終末。
そんな俺にとってこの巨大なショッピングモールはノアの方舟。
本当は聖書みたいに安住の地まで行って欲しい所だが、それは贅沢ってもんだ。
第一章 文明が崩壊した世界
ベランダに繋がるガラス戸をぼんやり眺めていた三本木亮太郎(さんんぼんぎりょうたろう)はリビングへ体の向きを変えた。
二十帖間のフローリング。
壁際には積みあがった漫画雑誌、部屋の隅には潰された空のペットボトルが詰まったゴミ袋、そしてソファーの上には女性がだらしない格好で寝ころがっていた。
「いつまで寝てんだよ、碧(あおい)」
碧と呼ばれた女性は寝転がったまま何の反応も示さない。
「おーい、起きてんだろ」
亮太郎が面倒臭そうな足取りで碧の所まで行くと肩を揺すった。
「うっさいな~、ほっといてよお兄ちゃん……」
邪険に手を払う。
「そんなに生理ヒドイなら尾長さんトコ行けよ」
尾長とはこのショッピングモールに店を構えていた医者である。
「何で知ってんのよ!」
「姉ちゃんから聞いた」
「ちっきしょ~、お姉ちゃんめ……余計な事教えやがって、後でブッコロしてやる! あたたた……」
「そんな物騒な事言うなって、通報されちまうぞ」
「じょ~と~、通報カモン! って感じだよ、あててて!」
寝返りを打って痛がる妹のポンポンと叩く。
「来るわけ無いもんな、もう警察なんて存在しないし。いや、この世界の秩序も文明も消えたんだよな。でもここは大丈夫、電気も太陽光発電で使えるし、水も雨水をろ過して飲める、食糧だってどっさり。言ってみれば現代版ノアの方舟だ」
碧が眉間に皺を寄せた顔を持ち上げると兄を見た。
「本当に大丈夫ー?」
「ここ以外に大丈夫じゃない場所があるなら教えて欲しいね、逆に」
小さく安堵の息を吐いた碧が再びソファーに顔を横たえた。
そんな妹の頭を再びポンポンと叩く。
「外の世界が滅びてもここは大丈夫だ。だからお前も大丈夫」
「……うん」
二人の目が自然とベランダに繋がるガラス戸へ目を向けられる。
空は異形の怪物の群れで埋め尽くされていた。
□
三本木亮太郎、十八歳。
高校二年の時に中退、「バイトしながら通信教育受ける」と言いつつ引き篭もりとなる。
趣味は電動エアガン。
彼の場合、電動エアガンというアイテムはサバゲーの為にあるのではない。球の威力を増す改造を施し、誰も居ない空き地で枯れ木を撃ってはニンマリする、そういう趣味である。
だがこの趣味こそが彼を中退に追い込んだ原因であった。
電動ガンの発射する球の速度には法律で規制があり、通常売られている電動ガンはブロック塀に球を発射しても弾かれるだけだが、彼の電動ガンは威力があり過ぎてブロック塀に当たると球が砕けてしまうのだ。
まさに立派な不法改造。
だが趣味仲間に持ち上げられ、何丁もの改造を頼まれる亮太郎に罪の意識は薄かった。
天罰覿面。チャリで頼まれた改造電動ガンの試し撃ちに行く途中、職質に遭ってしまう。
瞬く間に警察沙汰は高校中に広まり、彼が登校する回数は激減、ついには中退となったのである。
「お兄ちゃん……ちょっといい?」
引き篭もってから半年、部屋のベッドで横になりガン雑誌を読み耽っている彼の耳に、ドアをノックされる音と共に妹の声が響いた。
(そういえば碧と会うのは久しぶりだな)
いまだ傷心癒えぬ亮太郎が「いいよ」と声を掛ける。
ドアが開き、白いVネックニットとブルーのスキニーパンツ姿の碧が現れた。
亮太郎の義理の妹で、年齢は十七歳。
百五十センチの小柄な体だが手足はすらりと長く、顔は驚くほど小さい。
目はパチリと大きく、鼻筋も綺麗に整っており、ふんわりショートと相まって誰もが目を引く容姿をしていた。
「あ、碧……ひ、久しぶり」
久しぶりに会う妹、その胸の膨らみは更に大きくなっていた。
亮太郎の頭に“Cカップか? いや、Dカップかも”などと邪まな考えが浮かぶ。
「あの……お兄ちゃん……その……大丈夫?」
軽く握った右手を胸元に当て、リスなどの小動物みたいな可愛らしい目をチラチラ向ける妹に、亮太郎は小さな溜息と共に笑みを浮かべた。
「心配かけて悪い。まだちょっと立ち直れないけど、碧の為にも何とかするからさ」
妹の大きな瞳に驚きの色が浮かび、ぴくんと体が震え、前髪が小さく揺れる。
「お、お兄ちゃん……あ、あたしの為に立ち直ってくれるの?」
恥ずかし気な顔でゆっくり近づいてきた。
(え? 何これ? まさか「お兄ちゃん好き」とかの流れ? ちょ……心の準備が……いくら何でも義理とはいえ妹に告白されるとか、エロゲじゃねーんだから……いや、ホント)
心の中でニヤける彼の耳に電磁的な弾ける音が聞こえた。
「ん?」
碧が手にした何かを当てようとしてきた。
「うぉ!?」
運よくそれをかわした亮太郎に碧が舌打ちする。
「な、何だよそれ!」
「何ってスタンガンだよ」
碧の言うスタンガンは一見父親が使っていた電動髭剃りに見えた。
「スタンガンって……何でそんなの持ってんの?」
電気がスパークするジジジっという音がかすかに響いてくる。
「護身用に、ってファンの人が送ってきたの」
「ファン?……って何のファン?」
碧が馬鹿にしたよう鼻から息を抜いた。
「私ね、オーディションに受かってアイドルグループの一員になってたんだよ。知ってた?」
「ア、アイドル? 碧が?」
「知るはずないよね、お兄ちゃん昔からそういうの興味なかったし、だから私も教えなかったんだ。お父さんとお母さん、お姉ちゃんにも協力して貰ってー、お兄ちゃんには教えなかったの」
突如スタンガンで攻撃して来た挙句アイドル宣言をする妹に亮太郎は理解が追いつかなかった。
「何で? って思ってるでしょ? だって引き篭もって無駄に時間を持て余してるお兄ちゃんのことだもん。ネットにうっかり私の事書き込んじゃうかもしれないでしょ? だ・か・ら、教えなかったんだよ~」
小さくバカにした笑みを浮かべた碧の表情が一変した。
「それなのにっっ!」
再びスタンガンの突きが繰り出された。
「うひぇ!?」
すばやく身を引いてかわす。
「ネットで私の事バラしたでしょ! 事務所の力で何とか抑え込んだけど」
「それ俺じゃねーって! だってお前がアイドルだって知ったの今だぞ」
「ふーん、全然反省してないんだね……そんな嘘ついちゃってー!」
スタンガンを突き出した碧が向かってきた。
もはや話しにならないと判断した亮太郎が妹に背を向け部屋の中を駆け出した。
「こら、逃げるな~!」
部屋の真ん中にあるテーブルをぐるぐる回る追いかけっこが始まる。
だがフェイントを上手く使った亮太郎が部屋から抜け出す事に成功した。
「絶対許さないんだからね! お兄ちゃん!」
背中に浴びせられる声を聞きつつ猛スピードで階段を駆け下りる。
「何なんだよ一体!? 俺が何したっていうんだよ?」
これがドゥームズデイ直前の兄と妹の関係だった。
「どう? お兄ちゃん」
「ん……相変わらず上手いよな、碧は」
「えへへへ」
膝枕に乗せた兄の耳を覗き込み、丁寧に耳掃除をする碧。
今や完全に立場は逆転していた。
固定電話機からビートルズの「HELP!」のメロディが流れる。
「お、お兄ちゃん……」
碧が不安げな顔で兄を見る。
「怪物だ!」
その声に驚いた碧が耳かき棒を引き抜く。
亮太郎が勢いよく立ち上がると、自分の部屋へ駆け込んだ。
「バッテリー! バッテリー!」
机の上にある充電済みのバッテリーを掴み、壁に架けられた改造電動ガンを手に取った。
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