埼玉産ヘヴィーメタルチェリーボーイの一日

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<午後二時>  新所沢駅周辺は、所沢駅に比べずっと穏やかだ。  西口方面には一応パルコがあるのだが、都会のパルコと同じだと思ってはいけない。あくまで埼玉県仕様、所沢仕様である。西口方面はパルコ、二十四時間営業の西友、埼玉りそな銀行、みずほ銀行といった日々の生活に直結する店から、小規模ながら質の高い宝石を扱っているジュエリーお直し&オーダー店、有名新興宗教の支部まで、意外とバラエティーに富んでいる。  新所沢駅西口を出た男は、駅前の小さな商店街へと向かった。  ラーメン店や自転車店、洋食店が並ぶそこには、こぢんまりとした日本茶カフェがある。地元民が通うその名も「おちゃのま」、焼きだんごが名物の店だ。 「いらっしゃいませ!」  店内へ入った男は、いつもの席を選んだ。パルコが見える駅前通りに面した、彼のお気に入りである。メニューを開きどれにしようかとウキウキ眺める。  所沢市や隣の狭山市・入間市は「狭山茶」の産地である。  日本茶といえば静岡や京都、鹿児島が有名だが、ここ埼玉も負けてはいないのだ。「色は静岡、香りは宇治よ、味は狭山でとどめさす」と狭山茶摘み歌にもある通り、深い味わいを持つ。  様々な茶農家がある中で、おちゃのまは「宮野園」のお茶を使っている。この宮野園、狭山市のバー「A-10」で行われたLGBTの交流会にお茶を提供したり女子大で日本茶講座をしたりと、イベントごとも精力的にやっている。昨日二十四日もおちゃのまの店頭でほうじ茶の焙煎実演販売をしており、男は作りたてのほうじ茶を買い込んだばかりだ。 「そうだなあ、ほうじ茶は家にあるから……」  とりあえず、と男は「抹茶レモンソーダ」と、季節のよもぎあんが乗った焼きだんごを注文した。  席でぼーっと、パルコを眺めていると、注文の品が運ばれてきた。新所沢のパルコは二〇二四年に営業終了するんだよなあ、と、ちょっぴり寂しくなる。この席から眺める光景はいつまでも続かないのだ。レモン果汁で作られた氷が入った抹茶ソーダをすすり、だんごをかじりながら、ポメラを開いた。 『タピオカより貴方を吸いたい……』  エキサイトした自分が書き殴ったエロ小説の一文に、男は抹茶レモンソーダを吹きかけた。ぐええええと咳込み涙目になる。  彼は真っ赤になりながら、ポメラの画面を閉じた。キョロキョロと自意識過剰に辺りを見回すが、もちろんポメラに表示されたエロ小説を盗み見ていた人などいない。ホッと一息ついた男はふと、誰かに呼ばれたように外を見た。  窓の向こうには道路が、パルコの入口に並んだカフェ風テーブルが見える。パルコの渡り廊下を覆うアーチを望むそこで、島村楽器のオレンジ色の袋を持った若い男女が談笑していた。  恋人同士、だろうか、それとも。男性の方はヘヴィメタルバンドマンを絵に描いたような黒髪長髪のイケメンで、ギターのケースを背負っている。女性の方はV系ファンだろうか。小柄だが気が強そうで明るそうで、男性に何かを言っては笑っていた。彼女もギターケースを背負っている。  男はしばしの間、二人を眺めていた。べ、別にうらやましいわけじゃないぞ、と自分に言い聞かせながら。  彼もかつては大学の軽音楽部で活動していた。今はベーシストだが、当時、二〇〇〇年代末はなんとボーカリストだったのである。新所沢パルコの地下には島村楽器という楽器屋チェーンがあり、部員御用達であった。ベースやギター担当のメンバーに連れられ初めて足を踏み入れた楽器店で買ったのは100円のピック……男の名前の一文字と同じ「亀」のロゴが描かれたダンロップのピックであった。  お守りだね、と、メンバーお揃いで買ったそれを思い出したとき。  眺めていた男女は、手を繋いでパルコの中へと消えていった。 「『デスメタル童貞と思い出のピック』……」 夢を見ているような顔つきで、男はポメラに作品のタイトルを打ち込んだ。  抹茶レモンソーダの氷が溶け、レモン味が良い塩梅になった頃。  彼のTwitterでアカウントでは、誕生日を祝うコメントが花咲いていた。
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