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第四章 空を泳ぐ雲は橙色に染まる ~カフェ~
「今作るから、待っててよ」
Yシャツに蝶ネクタイ姿のマスターがカウンターの中に入っていく。二人は窓際のテーブル席に着いた。
中もレトロな造りで、八十年代のカフェを彷彿とさせる。テーブルやイスは全て同じ色で統一されており、壁には美しい女性が笑うビールメーカーのポスター。テーブルとテーブルの間はサンスベリアで仕切られている。まさに『隠れ家』という呼び名がふさわしいお店だ。
「いいんですか? 私が奥さんって。戸籍上はそうですけど、でも……」
りんが小声で言う。
「大丈夫。マスターは偽装結婚だと知っても黙っててくれるような人だから」
「そうですか」
「ていうか、奥さんじゃん」
「え?」
「俺ら、結婚してるんだし」
笑いながらそう告げる司の前で、りんは固まってしまった。確かに二人は結婚している。頭に『偽装』という二文字がつくとはいえ。
「他に何か食べないか? パフェだけで足りるかな」
「食欲ありますか?」
「うん、もう普通に食えるよ。やっぱりおすすめはナポリタンかな」
「じゃあナポリタンを」
「分けて食べよう。多分、それでちょうどいいくらいだから」
「わかりました」
司は立ち上がり、マスターの元へ向かった。りんは緊張を解くために思い切り背中を伸ばし、小さくため息を吐いた。
二
マスターのナポリタンはケチャップの酸味と砂糖の甘味のバランスが絶妙で、昔懐かしい味がする。具材は定番のウインナーソーセージとピーマン、マッシュルームとタマネギだった。
「私、祖父母と一緒に住んでたんですけど、おばあちゃんが作ってくれたナポリタンの味に似てます」
「懐かしくて優しい味だよな」
「はい」
「りんの優しさはおばあさん譲り?」
「え?」
「それともおじいさんかな」
「顔はおばあちゃんに似てるって言われたことあります」
「きれいな人だったんだな」
優しい顔で笑う司を見て、りんが何も言えなくなってしまう。ナポリタンを食べ終えると、マスターが絶妙なタイミングでパフェを運んできた。りんの目の前に現れたそれは本当に大きかった。
まず、器が標準サイズの二倍はある。フルーツはイチゴ、リンゴ、キウイ、バナナ、モモ、メロン、オレンジと盛りだくさんで、その上下にはソフトクリームと生クリームがぎっしり詰まっていた。並々と注がれたチョコレートソースが目をひく。チョコレートが大好きなりんは、見たことがない夢のようなパフェを前に思わず目を輝かせてしまった。
「美味しそう」
「本当に好きなんだな」
「はい?」
「チョコレート」
「ええ、好きです」
「俺のことも好きになれよ」
りんは司の台詞に相づちを打たない。
「好きな人がいるからか? だから俺を見てくれないの?」
「そうです」
「じゃあ隆さんと俺と、どっちがかっこいいと思う?」
どうやら司は、りんが隆のことを好きだと勘違いしているらしい。りんのシナリオ通りに進んでいる。これでいい、きっと司もすぐに幻を振り払うことができるだろう。無理矢理そう思いこもうとするりんの胸が、何故かずきずきと痛んだ。
「どっちもかっこいいです」
「じゃあ、俺にもチャンスあるよな、やっぱり」
りんは無言のまま、パフェに手を伸ばした。
「あー、待った! イチゴは俺の」
「あ、ごめんなさい」
フォークを引っ込めながら、りんが頷く。
「メロンも取っていい?」
「メロン、好きなんですか?」
「うん」
「じゃあバナナは?」
「バナナはりんにやる」
子どものように頷く司を目の前にしていると、いつの間にか緊張がほどけていってしまう。
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