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3.
翌朝、腫れた目をこすりながら私はダイニングへ下りた。我が家では、長兄の桂太(けいた)が朝食の当番だ。
桂兄(けいにい)は、私とは実に一回り離れている。高校を卒業してから家を出て、ほとんど家には寄り付かなかったのに、最近ふらりと戻ってきた。
どこかのバーでシェイカーを振っているらしい桂兄は、仕事を終えて帰ってくると、私たち家族の朝食を作ってから眠りに就く。疲れているはずなのに、いつも穏やかな表情を崩さない。私が桂兄を見るのは、朝食の席だけだ。
「奈月」
キッチンで味噌汁を温めていると、桂兄が私に声をかけた。
「朝ごはんできるまで、まぶた冷やしておきなさい」
火傷の時などに使うクーラーパッチを手渡してくれた。
「大切なものを守るためになりふり構わないのは、かっこ悪いことじゃ、ないんだよ」
「よく……わかんないよ」
「たまには、人前で素直になってみても、いいんじゃないかな?」
くしゃりと私の頭を撫で、桂兄はフライパンを握り締めた。そのうち将兄も降りてきて、食卓についた。
「なんだよぉ、ずっと泣いてたのか、なっちゃん。泣くならお兄の胸で――」
「将志。それはお前の役目じゃないだろ」
ピシリと言い放った桂兄が、私たちの前に朝食を並べていく。私たちはそれを黙々と胃の中に納めていく。
「ごちそうさま」
先に食べ終わった将兄から、甘い香りが漂ってくる。
「なあに、その煙草」
「これ? チョコの味がする煙草。もらったんだよ」
「彼女に?」
「……同僚に」
いわゆる義理チョコってやつか。
「しかもワンカートンも。吸ってるうちに、太りそうだよ」
「将兄。いっこちょうだい」
兄たちふたりは一瞬顔を見合わせ、にっこりと笑った。
学校に行くと、たいてい私より先にきているはずの、リカが来ていなかった。私に学校へ来いと言った張本人も来ていない。ふたり示し合わせていないって、どういうことなんだろう、と私は悲しいやら腹立たしいやらでイライラしっぱなしだった。
昼休みになって、彼とリカはやってきた。時間は少しずらしていたけど、一緒にきたのではないかと私は確信していた。
リカは席につくなり、私の席で一緒にお弁当を食べていた美由紀(みゆき)の横に移動した。だが、無言だ。お弁当を広げるでもなく、私と美由紀の傍でじっと黙っている。
彼は教室に入るなり、自分の机の中から何かを掻き出す。全部、綺麗にラッピングされた包みだった。多分、バレンタインチョコレートだろう。
美由紀が彼のほうを見て、こっそりと私に言った。
「見て。全部チョコだよ。昔っから人気あったけど、去年、成績総合トップ取ってから更に人気になったみたいだね」
「昔から人気があった?」
「成績総合トップ?」
私とリカが同時に美由紀に疑問を投げかけると、アッ、という声が上がった。彼が、掻き出したチョコの包みを全部窓から放り投げていた。
それを見ていたリカは、英語で何かを呟き、涙をほろりと一粒こぼした。
「リ、リカ……?」
美由紀が恐る恐る声をかけた。俯いていたリカは、一瞬肩を震わせると顔を上げて、笑った。
「フラれちゃった」
「え?」
美由紀が驚く。
「柴崎くんにチョコレート渡したんだけど、フラれちゃった。付き合ってる子がいるんだって」
リカのその言葉に、私の心臓は飛び出そうなほどに跳ね上がる。
「You can have me tonight, but my heart belongs to someone else.」
「……どういう意味?」
「体ならいくらでもあげるけど、心は他の人のものだから無理。そう言われたの。続きもあったけど、ショックで忘れちゃった」
ちょっと胸がキュンとしそうになったが、「体ならいくらでもあげる」ってどういうことよ。うっかりいつものように、彼の言葉にだまされそうになった自分を戒めた。
そうこうしていると、全てのチョコレートを窓から捨て終えた彼が、私たちの方へやってきた。
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