眩さの洞窟

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「ほれほれどうしたんじゃ? 怖くなったんかえ? そんなんじゃぁ洞窟の宝を手に入れる前に奥底に住まう魔物に食われてお終いじゃよーウーヒッヒッヒー」  山道からはずれること数百メートル。見上げるほどの木々が林立する薄暗い獣道。苔むした洞窟の前に石像のように鎮座するババアがしわがれた声でせせら笑った。  杖をクルリクルリとまわし、挑発的に俺を指してくる。 「ハ! 舐めてんのかババァ。オレ様をそんじょそこらの小者と一緒にすんじゃねーよ」  剣を一直線にババアへと。  刃をギラリと光らせ喉元に。  汚いフードで隠れた目元。その下のガサガサの唇が三日月のように薄く裂けた。 「ウーヒッヒッヒ。過信は口だけにしとくんだな坊や。こんな老いぼれをおろしたところで骨と皮しか残らんよて」  枯れ木のように乾いた腕に小枝のように細い指。確かに良い出汁はでないだろう。  舌打ちして剣をしまう。 「で、さっき話した通りオレが宝を持ち帰れば半分は貰っていいんだな」 「えぇえぇ好きにしな。じゃがちゃぁんと戻ってくるんじゃぞ」 「ふん言われるまでもねぇ」  ピクリとも動かないババアの隣を横切る。 「言うは易く、行うは難し」 「うるせぇ。テメェはそこで額のシワの数でも数えてろ」  どうせ宝さえ手に入れてしまえばこっちのもんだ。生い先の短いババアなんぞに渡したところでロクなことに使かわねぇ。だったらひと思いに叩き切っちまって総取りするのが善意ってもんだろうよ。  四角く開口した大きな洞窟。垂れ下がるツルは牙のようで、したたる水滴はよだれのようだった。  一歩、また一歩と湿気た落ち葉を踏みしめ歩み寄る。  吹き付ける風は冷気を孕み、しんと背骨が軋む。  怖気を追い払うように松明を灯す。  しかし暗闇の蠢くその(うち)を明かすことはできず、まるで目には見えない黒い隔たりが阻んでいるかのように暗黒に満ちていた。 「――だからどうした」  自問して踏み入る、その闇の中へ。  視界が黒へと暗転する刹那、 「気をつけていっておいで……」  薄気味悪くババアがささやいた、ような気がした。  振り向き毒突こうとした途端、 「――ァッ!」  傾げる身体。低い浮遊感。  ヤバイと思った時にはすでに転がり落ちていた。  ゴロンゴロンと硬い岩盤に打つかる。頭を抱えて守る。足でブレーキをかけ、ビチャリと泥の地面に浸かって止まった。  どうやら入り口は斜面になっていて、情けなくも滑ってしまった。 「ったくあのババア……」  きっと知っていて黙っていたに違いない。  苛立ちとともに口に入った砂利を吐き捨てた。  素早く松明を拾って、素早く剣を抜く。  右から左へ注意深く視線を流す。  黒、暗闇、暗黒世界。  松明の火をかざしても、地面はおろか壁や天井すら確認できなかった。  ババアから洞窟は一本道と聞いていたが、 「早めに攻略した方がよさそうだな」  おそらく洞窟全体が光の反射が少ない鉱物でできているのだろう。これでは目隠しして進むのと大差がない。おまけにいつどこから魔物が襲ってくるかもわからない。一秒たりとて油断はできない。さらに少し頭を打ったせいか軽い耳鳴りもする。手当をしようにも傷口すら見えない。 「うしッ! いくか」  松明を前方へ向け、剣先で地面を確かめながら歩を進めた。  肌に浸みる、凍えるほど湿気た空気。  耳が狂うほどの、静まり帰った暗黒。  暗闇を好むコウモリの声さえも、滴がしたたる波紋さえも、自分の足音すらも響かない。  歩くほどに気味が悪く、えもいわれぬ焦りが頬を伝う。 「これくらいがなんだ……」  身を引き締めながら十分、三十分、そして一時間。  異変に気が付いたのは入ってから一時間半後のことだった。  慣れると期待していた目が、いつまでたっても慣れてくれないのだ。最初は少しばかり光を反射しない鉱物と思っていたが、どうやら全く光を反射せず、その上吸収しているような圧倒的な暗さ。  わかるのはおぼろげな自分の輪郭のみ。  それすらも時より揺らぐ松明の火で、この暗闇世界に溶けるような心地がした。  もう見飽きているからこそ、どうしようもなく見飽きることのない黒い視界。  目もなければ、耳もなかった。  いつまでたっても音一つ聞こえなかった。  いいや、耳鳴りだ。  耳鳴りが時間と共に酷く大きく脳を揺らし、聴覚と平衡感覚を奪い取った。  自分は上っているのだろうか? それとも下っているのだろうか? いいや立っているだけかもしれない。  一時間半? もっと短い気もするし、それ以上のような気もする。  まだ入り口から数メートルも進んでいないかもしれないし、大分奥まで来たのかも知れない。  普段当たり前に理解している感覚が、ささやく冷風に凍らせられまったく機能していなかった。  筋肉に残る疲労だけが自分が今まで歩いていたことを教えてくれた。  しかしだからといって自分の居場所が判然とするわけでもなく、ただただここではないどこかに向かっているかもしれないという曖昧な焦燥感が歩調を速めた。  喘いでいるのだろうか?  臆しているのだろうか?  恐れているのだろうか?  このオレが? 「まさか、まさかだろ……」  気が付けば自然と足が走っていた。  剣を捨て、松明を投げ捨て、重たい装備を脱ぎ捨てて。  ただここから出たい、ただその一心で。 「間違いねぇ宝だッ!」  ようやく遠くの方で黄金に光り輝く何かが見えてきた。  息を荒らげひた走る。腕を大きく振って、急いで地面を蹴って。  ぬかるみに足を取られてもすぐに抜け、斜面を手足でよじ登って全速力で。  金か? 銀か? それともダイヤか?  なんという眩い光だろうか?  散々焦らされたんだ。さっさとオレの物になりやがれッ!  ――――――  ――――  ―― 「ウーヒッヒッヒ意外と早かったねぇえ?」  手を伸ばした先にババアが立っていた。しなびた干物のようなババアが立っていた。 「…………」  無言で這い上がり、洞窟の入り口に立つ。 「なんだい折角宝を手に入れたっていうのにそのしけた面は?」 「おいババア……まさかあの暗闇が魔物で光がお宝ってんじゃねぇだろうなッ」 「そうじゃよ。どうだい日頃坊やが無為に教示しているお天道様の有り難みが少しはわかったかえ」  ふざけやがって、と叩き切ろうにも剣は洞窟の中だった。 「いいかッ。二度とこのオレを無意味な年寄りの道楽に付き合わせんじゃねぇぞ!」  鼻息荒くババアを押しのける。  立ち去ろうとするオレの背中をババアが嫌らしく笑う。 「ウーヒッヒッヒ。無意味? そりゃぁ坊やからしたらだけの話じゃろ――ッ!」  殺気を感じたときにはすでにババアに押し倒されていた。  馬乗りに乗られ細い指を目の前まで伸ばしてきた。 「それでも約束は約束じゃ。手に入れた宝の半分をいただくよ」 「なッまさ――ッ!」  長い爪をスプーンのように目蓋へ滑り込ませ、そのままクルリと抉り……。
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