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ふたりはそろそろと母に近づいた。そして、母をはさむように、兄は窓側にノリオは反対側に立った。
「お母ちゃん」ノリオが口を開いた。「俺、きのうイサたちと遊んだ。お寺で墓石飛びやった。土まんじゅうの穴に落っこちて、イサが押さえてくれて、ヒロが和尚さん呼んで来てくれて。和尚さんに助けてもらった。めちゃくちゃ怒られた。でも、楽しかったよ」
ノリオが話し終えても母の表情は変わらなかった。ノリオは主治医を振り返った。
「大丈夫。聴いているよ。こころの中ではわかってる」
「お母ちゃん」兄が話しだした。「きのう、ノリオと牛丼食ったよ。どうやって行ったかはまだ秘密だけど、特盛りのフルセット食った。美味かったよ。で、そのあと、ノリオとふたりでキャンプした。こいつさ、ちびのころからビビりだっただろ」
「やめろよ、兄ちゃん」
「いいじゃねえか、笑い話なんだから。で、夜中に俺のこと起こすんだよ。兄ちゃん、兄ちゃんって情けない声出して。トイレいっしょに行ってくれよって。もう六年なんだぜ、こいつ」
いっしょに行ってあげたの?と母は聞かなかった。が、唇の端がかすかに動いた。
「ノリオ……」
「うん」
「お母ちゃん、笑ったぞ」
「うん」
「もっと、何か話せ」
「わかった。お母ちゃん、俺、きのう兄ちゃんとキャンプしてわかったんだけど、ていうか、前からそうだったんだけど、はずかしくて言えなかったんだけど――俺、兄ちゃんとお母ちゃんのことが大好きで、兄ちゃんとふたりでお母ちゃんに会いに来られてよかった。ほんとによかった。俺、うれしい」
ノリオの目から涙がこぼれた。
「おまえ、なに恥ずかしいこと言ってんだよ」
兄が言った。目に涙がにじんでいた。
「お母ちゃん、ノリオと俺は大丈夫だからさ。お母ちゃんは、ゆっくり病気を治して。で、退院したらさ、三人で焼きそば食って、遊園地に行こう。こいつが、行きたいってうるさいんだよ」
わかったよ、行こうねと母は言わなかった。が、涙を浮かべてかすかにうなずいた。
「兄ちゃん……」
「ああ」
「先生……」
主治医も目頭を押さえた。そこへドアをノックする音がした。主治医はドアを開けて廊下に顔を出した。お連れしました、と声が聞こえてきた。どうぞ、と主治医がドアを開いた。父が入って来た。口がへの字に曲がり、眉間にしわが寄っていた。
「ヤバッ」兄が口走った。
「おまえらなあ――」
言いかけた父を主治医が制した。
「シノダさん、病院では?」
「大きな声を出さない」
「はい。そして、病院では人を」
「責めたり傷つけたりしない」
「結構です。では、ご家族の時間をどうぞ」
主治医は大げさにうなずきながら、病室の隅にしりぞいた。父はやれやれとため息をつきながら、ベッドの足元に立った。
父の目に自分たち三人はどう映っているだろう。幸せそうに映っていて、これからは息子たちを病院に連れてきてやろう、と思ってくれたらいい。でも、それはこの父にはむずかしいかもしれない。そのときは、兄ちゃんとふたりでバスか自転車でくればいい。どんなに止められても、俺たちはやる。
ノリオは兄の顔を見た。兄もたぶん同じことを考えている。
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