ノリオ、お母ちゃんに会いに行くぞ

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 納屋の隅に自転車を置き、母屋に向った。ノリオの家は古い農家だ。今は田んぼも畑も人に任せてしまっているが、家の敷地は広い。納屋と母屋のあいだにはトラクターが通れる通路があり、裏庭に続いていた。その裏庭のほうから自動車のエンジン音が聞こえてきた。ノリオは走り出した。裏庭にあるのは母の車だ。お母ちゃんが帰ってきた?家の角を回り込んで、ノリオは足を止めた。兄だった。兄が母の軽自動車のエンジンをふかしていた。甲高い排気音が唸りを上げる。兄は目がつり上がっていた。こういうときは声をかけないほうがいい。  ノリオはきびすを返した。興奮した兄にかかわるより家の手伝いだ。兄がやらなくなった分まで祖母はノリオにやらせた。連帯責任ということらしい。逆らってもしかたないのでノリオは言われるままにやっている。さっさと済ませてしまおう。夕飯までに風呂にお湯を張っておかないとまたグチグチと文句を言われる。母親のしつけがどうのこうのと始まる。そこへ、ノリオ!と呼ぶ声がした。立ち止まって振り返ると、兄が車の窓から顔を出していた。 「乗れ、ノリオ」 「乗れって……」 「いいから、乗れよ!」  目はつり上がったままだった。兄は興奮すると見境がなくなる。祖母の血が濃い。轢かれることはないだろうが、逆らわないほうがいい。ノリオはゆっくりと兄に近づいていった。 「乗って、どうするの」 「お母ちゃんのとこに行く」 「行くって、だって」 「運転は大丈夫だ。おまえも知ってんだろ、俺が車乗ってるの」  中一の兄は小学生の頃から隠れて車を運転していた。 「知ってるけど、行ってどうすんのさ」 「病院から連れ出して、三人でどっか行って暮らす」 「兄ちゃん……」  無茶苦茶だった。こわいくらいだ。いやな予感がした。 「兄ちゃん、まさか、ばあちゃん……」 「心配すんな。息はしてるよ」 「って、何したんだよ……」 「何もしてねえって」兄は唇の端で笑った。「それより、行くぞ」 「兄ちゃん、やめたほうがいいって」  兄がエンジンを切った。落ち着いたか、とノリオは思った。兄は首をひねってノリオを見上げた。 「ばばあと二人で暮らしたいんなら、残ればいい」 「兄ちゃん……」  兄はエンジンをかけ、窓を閉め、急加速で車を発進させた。小石がパチパチとはじけてノリオの体にあたった。家の角を曲がるとき、車はガリガリと反対側の納屋の壁をこすっていった。兄の叫びに聞こえた。  迷ったのは一瞬だった。ノリオは兄のあとを追った。兄を放っておけない、というのはいい子のノリオの言い訳だ。きょう友だちと墓石飛びをしたノリオは、友だちにオリと呼ばれるノリオは、俺だってお母ちゃんに会いたい!と叫んでいた。  家の角を回り込んだ。車はなかった。門に向かう音だけが聞こえる。 「兄ちゃん!待ってよ、兄ちゃん!」  ノリオは走りながら叫んだ。納屋の角を回った。いた。門の手前でブレーキランプが赤く光った。ノリオは走った。助手席のドアが開いた。ノリオは飛び込んだ。 「兄ちゃん、俺も行く」 「おう。わかったから、早くドアしめろ」 「うん」  息を切らせたノリオがドアをしめた途端、兄は車を発進させた。
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