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松永病院はノリオたちの家から車で二十分ほどの山の中腹にある。三階建ての白い建物が森の中に隠れるように建っていた。母が入院するのはノリオが覚えているかぎり三回目だった。病気の名前は二人とも知らされてなかったが、様子を見ていれば普通じゃないということはわかった。話しかけてもあまり返事をしなくなり、元気がなくなって料理とか洗濯とか家のことができなくなってしまう。祖母にいろいろ言われても静かに泣いているだけだ。そして一日中布団から出られなくなる。今回もそうだった。
近くで見ると、病院は思ったより大きかった。大丈夫だと言うだけあって、兄は普通にスピードを出して車を運転した。途中、急な山道のカーブで何度か肝を冷やしたが、だれかに見とがめられることもなく病院についた。駐車場は病院から少し下がったところにあった。五十台分ほどのスペースが白線で区切られていた。止めてある車は十台もなかった。兄は、すぐ逃げられるようにと、いちばん手前のスペースに車を止めた。
「行くぞ、ノリオ」
「待てよ、兄ちゃん」
「何だよ。おまえ、また下らねえことごちゃごちゃ考えてんだろ」
「そうかもしんないけど、どうやってお母ちゃん連れ出すんだよ」
「息子です、面会に来ましたって言って病室に行って、親子で庭を散歩してきますって
言って連れ出す」
「で?」
「とりあえず、三人であちこち旅行する」
「お金は?お金がなくちゃどこにも行けないんだぞ」
「おまえな、俺がカネもなしに出てくるはずないだろが。これを見ろ」
そう言うと、兄は後ろの席からリュックを取ってよこした。開けると一万円札がつまっていた。百枚以上はある。
「兄ちゃん、これどうしたんだ」
「ばばあのヘソクリだよ。無駄に不登校してるわけじゃないってこと」
どこまで本気なんだ――ノリオは兄の真意を測りかねていた。母に会えば収まるのか、会って自分だけ家出しようとしてるのか、それとも本当に三人で暮らそうとしてるのか。わからない。でも、祖母にキレた勢いだけではない。それは確かだった。
「ノリオ」
真剣な声だった。俺といっしょに行くよな、と改めて問われたらどうしようとノリオは思った。
「なに?」
「お母ちゃんに会いに行くぞ」
「うん」
お母ちゃんに会いたい――その気持ちだけは兄と同じ――いや、それ以上だった。母が三度目の入院をしてからもう一か月以上が経つ。一度も連れてきてもらえなかった。あるとき、兄とふたりでバスに乗って行くと父に話した。絶対に行くなと父は言った。どうしてと理由をたずねた。精神病院だからだ、と父は苦々しげに吐き捨てた。ノリオはそれ以上食い下がることができなかった。来ようと思えば自転車でだって来られた。だけど、できなかった。ノリオは兄の後ろを歩きながら、白い病院を見上げた。
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