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「なあ、兄ちゃん」
「なんだ?」
「お母ちゃん、誘ったら俺たちといっしょに行くかな?」
「どうかな……」
ハンドルを切りながら兄は答えた。車は幹線道路に戻った。来た時より交通量は少なくなっていた。
「バカなこと言うんじゃないって、怒られるかもな」
「たしかに、お母ちゃんなら怒るかも。まじめだからなあ」
左手に見えていた山のシルエットが近づいてきた。
「でも、本当に行くって言ったら?」
「言うわけないだろ、そんなこと」
「わかってるよ。でも、行くって言ったらだよ」
「そんときは、連れ出す」
「どこ行くの?」
「待て待て、おまえはどうすんだよ。ひとりで残って通報するんじゃねえだろうな」
「行くにきまってんだろ。ね、どこ行く、三人で」
「まずは、温泉だな」
「うん。それから」
「おまえは、どこ行きたいんだよ」
「俺はどこでもいい、三人で行けるんなら。でも、遊園地は行ってみたい」
「はははっ、おまえ、なに小学生みたいなこと言ってんだよ」
「兄ちゃん、俺まだ小学生」
「だって、おまえ、遊園地なんて――っと曲がんなきゃ」
病院への山道に差し掛かった。兄はウィンカーを左に出して、大きくハンドルを切った。山に入るとすぐに急なカーブが続く。ふたりは示し合わせたように口を結んだ。
病院の駐車場はゲートが閉まっていた。ふたりはさらに山の上に向かった。道はだんだん狭くなる。対向車はなかったが、すれちがうのがやっとくらいの幅しかなかった。ヘッドライトの先には真っ暗な森に飲み込まれる道しか見えなかった。いくら進んでも暗闇に続く道しかなかった。兄はフロントガラスに額をつけるようにして、ゆっくりと車を走らせた。ノリオまで体中に力が入った。
突然、森が切れて視界が開けた。頂上だ。ふたりの口から息がもれた。少し進むと、車何台かが止められそうな砂利の駐車場があった。止まっている車はなかった。兄は一番手前に車を入れて、エンジンを切った。
「あー、疲れた。もう無理だ」
椅子の背もたれを倒すと、兄はそのまま寝てしまった。
「ありがとう、兄ちゃん」
返事はなかった。ノリオは兄の寝息を聞きながら暗闇の中で考えた。明日どうなるかは、わからない。母に会わせてもらえないかもしれない。病院の玄関で父につかまってしまうかもしれない。今夜ここで警察につかまることだってありうる。
ノリオは兄の寝顔を見た。家にいるときのしかめっ面は消えていた。行けるところまで兄といっしょに行こうとノリオは思った。好きだった兄が戻ってきてくれたようで、それだけでも、うれしかった。
「おやすみ、兄ちゃん」
ノリオは背もたれを倒した。少し寒いけどカゼをひくほどじゃない。窓の外には春の星空が広がっていた。
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