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目を覚ましたのは、ふたりともほぼ同時だった。木々の間から陽の光が差し込んで来ていた。おーさみい、と言って兄はエンジンをかけ、しばらく待ってヒーターを入れた。八時少し前だった。ふたりは、黙々とおにぎりを食べ、冷たくなったブリトーを分け合って食べ、桃水とお茶を飲んだ。
「行くか」
「うん」
車は木漏れ日に満ちた道を駆け下りた。ゆうべ永遠とも思えるほどかかった時間は、わずか数分でしかなかった。病院の門は開いていて、駐車場にはもう何台もの車が止まっていた。人がいないのを確かめて、兄は車を入れた。
受付にはきのうとちがう若い女の人がいた。兄が、きのう言われたことを話すと、すぐに主治医に連絡してくれた。そして、椅子に座って待っているようにと言った。
ふたりは玄関ホールの真ん中におかれたベンチのひとつに座った。色んな人がふたりの前を通りすぎていった。すたすたと歩いていく人、両脇を支えられて脚をひきずるように連れていかれる人、ぶつぶつと話しながら行ったり来たりする人――。ノリオは時折り目を上げては、すぐに伏せた。落ち着かなかった。兄は壁に掛けられた絵をじっと見ていた。
しばらくして、まっすぐ近づいて来る足音が聞こえた。顔を上げると、白衣を着た男の人がそこまで来ていた。丸い縁のメガネと口の周りにもじゃもじゃのヒゲ。兄も気づいてベンチから立ち上がった。ノリオもいっしょに立った。
「ごめん、ごめん。待たせてしまったね。シノダさんの息子さんたちだね」
はい、とふたりは答えた。
「お母さんを担当してるシバタです。ちょっと、似てるねシノダとシバタ」
と言って主治医はほほえんだ。ノリオもつられて顔をほころばせた。兄は表情を変えなかった。
「お母さんに会う前に、君たちに話しておきたいことがある」
そう言うと主治医は腰をかがめた。ヒゲ面がふたりの目の前に降りてきた。
「まず、お母さんは大丈夫だ。もう少し入院しなきゃならないけど、きっとまた元気になる」
主治医は噛んで含めるように言った。ふたりはうなずいた。
「けれど、今は薬を飲んでるから、会っても君たちのことがわからないかもしれない。わかっても、思うように反応できないかもしれない。話もできないかもしれない。それでも、会いたいかい」
「はい」
ふたりは即答した。顔を見合わせて吹き出すほど、ピッタリ一致していた。
「わかった」とうなずくと、主治医は表情をき締めた。「では、大事なことを伝えるよ。これから話すことは必ず守ってほしい。まず、病院の中では大きな声を出さないこと。お母さんの前でも、ほかの患者さんの前でも、絶対にだ。大きい声を聞くと、嫌なことをたくさん思い出して、病気が悪化してしまう人が大勢いるんだ。わかってもらえるね」
「はい」
「そしてもうひとつ、病院では人を責めたり傷つけたりするようなことを言わないこと。本当は病院以外でもそうすべきなんだけどね。理由は同じだ。できれば、気持ちが温かくなるようなことを言ってほしい。守れるかな」
ふたりはうなずいた。うなずきながら、きのうの兄のことが伝わっていたのだろう、とノリオは思った。たぶん、兄も同じように思っている。
「ありがとう。じゃ、お母さんに会いに行こう」
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