山小屋

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「俺は、やっぱり怪談は短いのが好きだな」  私の言葉に、岩下は少し眉を顰めてみせた。 「うーん、それはどうだろうな。長編、短編、ショートショート、一行怪談、それぞれ違うんだから、それぞれに楽しめばいいんじゃないか?」  山小屋の天井に吊り下げられたランプが微かに揺れると、目の前の岩下の顔の陰影も微妙に変化する。なんだかにやにや笑っているようにも見える。  今回の山登りの相方に彼を選んだのは、登山仲間の一人であるということは勿論だが、もう一つ、怪談という共通の趣味もあったからだ。漆黒の闇の中の山小屋という、いかにもな環境で、ゆっくり怪談談議を交わすことが出来たら面白いだろうなと思ったのだが、幸運にも他の登山者がいなかったおかげで、本当にそのとおりになった。 「短い怪談は、とにかくオチが勝負なわけだから、そこでいかにキレのある表現が出来るか、だろうね」 「短い怪談というと思い出すのは、やっぱりあれだな。 "地球最後の男が独りぼっちで部屋に座っていると、ノックの音がする”ってやつ」 「ああ、フレドリック・ブラウンだったっけ。あれはいいね。確かに怪談なんだけど、文章自体がオチになっちゃって、どっちかというと小噺みたいな味わいもあるよね」 「まあ、そうかもね。ぞっとさせる話なんだが、どことなくユーモアのセンスも感じさせるような、いかにも彼らしい話だと思うな。イマジネーションの種というか、ここから色んな想像が膨らんでいく、そういう楽しみもあるな」 「そう。色んな二段オチを付けてみたり、いじくって遊ぶのもあるね。実は、ノックしたのは地球最後の”女”だったのです、みたいにね」 「あと、短い怪談でいうと、あれも好きだな。むじなの話」 「ああ、最後に蕎麦屋が”こんな顔だったかい?”っていうやつね」 「あれもいろんな本に収録されてるけど、やっぱり、俺は小泉八雲のがいいな」 「そうだね。俺もそう思う。短い話だけど、怖がる男の心理が実に的確に表現されているよね。一回目に女中ののっぺらぼうにおどかされて、ほうほうの態で逃げだした男が、暗闇の中にほんのり灯る蕎麦屋の灯りに救いを感じて、縋るように駆け込むところがいいよね。やっぱり、暗闇ってのは怪談にとって、最高の舞台装置なのかもしれないね」 「うん、確かに暗闇は最高の舞台装置だろうな。あの話も最後に二段めのインパクトがくるんだけど、その後に”それと同時に灯りも消えてしまった”という一言が付いてるじゃない?勿論、二回目ののっぺらぼうが恐怖の肝なんだけど、そこにつけ加えられたこの一言が、一層恐怖感を強めているように思えるんだよね。一切の救いや逃げ道が無くなったという感覚が視覚的に表現されているみたいで、男の絶望的な恐怖が、見事に現わされていると思うんだ」 「今の君みたいにね 」  そこで突然目が覚めた。  気がつくと、私はテーブルに突っ伏して一人で眠っていた。  そうだ、今この山小屋には私以外誰もいない筈だった……岩下は……そう、目の前で滑落していった岩下……携帯も通じない。吹雪の中、とりあえずこの小屋に避難した。夜が明けたらすぐに下山して助けを呼ばなければ……一人で焦っているうちに、いつのまにか疲れて眠ってしまっていた。  トン、トン。  気がつくと、誰かが小屋のドアをノックしている。こんな時間に、この吹雪の中、誰が……  トン、トン。  そんな、あり得ない! 「やめてくれ!来ないでくれ!」  トン、トン。  置いてきぼりにしたんじゃない。あの状況では無理だったんだ。  トン、トン。  だから吹雪が止むのを待って助けを呼びに行こうと…… 「やめてくれ!入ってくるな!」  必死で叫んでいると、いつのまにかノックの音は止んでいた。真夜中の山小屋らしい、吸い込まれそうな静かさの中に私は一人で座っていた。  行ってしまったらしい。そう言えば、この世の者でない輩は、中の人間が扉を開けてやらないと入れないという。とにかく絶対に、ドアを開けてはいけない。開けなければ、奴は入ってこれない筈だ。そう思った瞬間。 「もう入ったよ」  声がして、ランプの灯りがふっと消えた。 [了]
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