私のお母さん

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私のお母さん

 私は冷たい紅茶をごくりと飲んだ。熱い体の隅々まで潤いを届けてくれるみたいだ。 「ぷはー!一気飲みってやっぱり最高!」  私は家の天井に向かって叫んだ。 「おじさんみたいなこと言ってんじゃないわよ。」 キッチンから呆れた顔をした母が出てきた。 「あんた、小説のコンテストで優勝とるとかいってるけどどうなのよ最近。今日も昼過ぎに起きてきて生活が乱れてるわね。自立もしないでまったく。」  母に痛いところをつかれすぎて何も言い返せなかったが、 「いずれとるわよ!」  と強気に一応言っておいた。足の踏み場もないくらいごちゃごちゃになった部屋に戻ると、物が溢れている中にも獣道のようになった道筋を通ってデスクにたどり着いた。 「私だって…やればできるわよ。」  と勢いよく鉛筆を握りしめた私だったが、紙の真上でピタリと止まった。 「あー、なんかいい案ないかなぁ…」  ごちゃごちゃになった部屋を見渡してみても、真っ白な天井をみても、案は浮かんでこない。 「来い!インスピレーション!」  今度はちょっと願うように言ってみたが、きたのは 「静かにできないの!」  という母の怒鳴り声だけだった。 「ふぅ、まず大きなテーマでも決めないとなぁ。」  真剣に小説のテーマに悩み始めた時、 「あんた、ちょっと買い物行ってきて頂戴。」  と母が言ってきた。 「お母さん、丁度本気モードに入ってきたところだから無理!」  と言ったが、 「そんなこと言って誤魔化すんじゃないわよ!」  と母は私とエコバッグを外に放り出した。 「もぉー、髪の毛もぼさぼさなのに…」  仕方なく夕ご飯の買い出しをすることになった。家からスーパーまではかなり時間がかかる。田んぼのあぜ道を通って変わらない景色を30分見て歩かなくてはいけない。 「なーんか久々に外出たな。」  私は黄金色に光る稲を見ながら呟いた。 「前、外に出た時、まだ稲は青かった気がする。そういえば小説を真剣に書こうと思って結構家に閉じこもってたなぁ。」  ぶらぶら歩いていたらあっという間にスーパーに着いた。 「えーと、じゃがいもとにんじんと玉ねぎと…絶対今日の夕飯カレーじゃん!」  分かりやすすぎる食材に私は思わず突っ込んでしまった。 「今日の夕飯何かなぁって考えるのが楽しいのに。サプライズ感ゼロだね。」  とぶつぶつ言いながらも買い物を終えてスーパーを出た頃には夕日が落ちかけていた。向こうの山からは悲しげにヒグラシが鳴いていた。少しひんやりとした風が肌をくすぐっていく。 「もう夏も終わりがけか…」  そう思うとなんだか寂しくなった。田んぼの横の川のせせらぎを聞きながら近くにあった石に腰掛けると鼻歌を歌った。特に誰の歌でもない適当な鼻歌だ。そして、夕日が最後まで沈むのを見送った。 「あーあ、日が落ちちゃった。」  と思ったら今度はどこからともなくコオロギの鳴き声が聞こえてきた。 「あっ、コオロギ!懐かしいなぁ。よく干し草を叩いて出てきたコオロギを捕まえてたなぁ。」  昔のことを思い出しつつ綺麗な音色を聴いていた。目を閉じて、耳を澄ませているとより音色が入ってくる。しかし、だんだん違う音が入ってきた。 「こーらー!」 「ん?誰か怒ってるのか?こんなに綺麗にコオロギが鳴いてるのに。」  私はため息をついた。 「どこで道草食ってるのよ!」 「あれ?聞いたことある声だな。」  パッと目を開けると湯気が見えるんじゃないかと思うくらいプリプリに怒った母が視界に入ってきた。 「げっ、お母さん!」  思えば家を出てから随分と時間が経っていた。 「あんたは本当にもう、真っ直ぐ家に帰ってくることもできないの!?」  呆れた顔の母は今日2度目だ。 「ごめん、ごめん。久々に外出たらさ、コオロギの声が綺麗だなぁ…なんて思っちゃって。わざとじゃないよ!」  これは怒られる展開だなと思いつつも一応言い訳をしておいた。 「そう、確かに外出るの久々だものね。」  母の怒りは少しおさまったみたいだ。 「そうなんだよ、夕日も落ちるまでしっかり見送ってたからさ!」  この調子!と思いながら私は続けて言った。 「調子のってんじゃないわよ!話そらしてんじゃないわよ!」  母は路線変更しなかった…。その後、母のお叱りを田んぼのあぜ道の真ん中でしっかりと受けた。何も外で怒鳴らなくても…と思ったが。自分のせいなので仕方ない。家に着いた頃には、食材も生温くなっていた。 「今日は肉じゃがよ!」  ちょっと怒り気味に母は言った。  カレーじゃないんかい!と私は心の中で突っ込んだ。それを口に出すと結果はみえているので言わなかったが。  その夜、自分のベットで天井を見上げながら私は考え事をしていた。 「世の中の小説家の人はどこからインスピレーションを受けてるのかなぁ…」  ぽつりと呟いて、 「あー、寝れない!昼過ぎまで寝てたせいか体が元気すぎる!」  と手足をバタバタさせた。私は部屋の獣道を通ってそーっとドアを開けて、母が寝静まっているのを確認すると玄関のチェーンをこれまたそーっと開けてきしむ玄関のドアをゆーっくり開けた。部屋着のまま外に出た。この田舎でこんな夜更けに外に出てる人などいるわけがないから、どんな格好でも気にしなかった。 「わー、今日は月がよく見えるなぁ。」  私はまんまるに見えるお月様を見上げて言った。 「そうね。」 「そうだよね。えっ…」  驚いて目を見開いた私の隣には、角が生えかけた母が立っていた。 「お母さん、なんで…」  驚くあまり私は開いた口が塞がらなかった。 「あんたのやる事なす事全てお見通しなのよ。」  母はにんまりとして言った。 「うわぁ、お母さんには敵わないね。」  私は感心してため息をついた。  それから2人で部屋着のまま近くの石に座って天体観測をした。夜の星を観るのも久々だった私は凄く楽しかった。流れ星も観ることができた。ピュッと流れ星が流れるたびに、「あ~」という母の声は少しうるさく感じたが。 「お母さん、そんなに驚いてたらお願い事する暇もないじゃん。」  と軽く突っ込んだが 「もともと観ててもお願いする時間なんて実際には無いわよ。」  と言い返された。  あっという間の楽しい時間だった。そろそろ体も冷えてきた頃、母は 「あんたはさ、どんな小説が書きたいの?」  と聞いてきた。 「うーん、みんながなるほど!ってなるような話かなぁ。共感してもらえるというか…」  私は自分なりの言葉で言った。 「いいんじゃないの?自分が伝えたいって思ってることがあるんだったらそれが1番のチカラになるわ。それに、題材なんて身近なもので充分よ。日々生活の中で感じたこととか、見たこととかでいいのよ。要は、それを通じて読み手に何を伝えられたかってことだと思うの。」  母は優しく笑っていった。 「お母さんが初めて天使に見えた…」  私がぽつりと呟くと 「…今なんて言った?」  と母の角がまた生えかけたのであわてて 「なんでもない!」  と誤魔化しておいた。  あの日があってから、私はまず部屋の整理から始めた。 「部屋の乱れは心の乱れよ。いい話はいい環境から生まれるものよ。」  と母に注意されたからだ。そして、毎日絶対外には出るようになった。 「外の空気を吸うと気分も変わるものよ。」  これも母の言葉からだ。さらに、料理も自分で作るようになった。手の込んだものは作れないけど、魚を焼くとか納豆を混ぜるとかそれくらいのレベルだ。 「食事を変えるだけで変わるものよ。」  母に口うるさく言われたからだ。  そんな口うるさい母も今ではすっかり小さくなってしまった。随分弱ったように思う。小言を言われることも無くなったし、怒鳴ることも無くなった。それが私にとっては少し寂しくもある。私は生活スタイルを変えたあの日からインスピレーションが湧き出てくるようになり、私の書きたかった小説が書けるようになった。鉛筆がすらすらと動くようになった。そして、しばらくしてから私はコンテストで優勝することができ、小説家としてデビューした。優勝した日、私は賞状を手に、踊るようにして家に帰った。そして母に 「お母さん、私優勝したよ!」  と賞状を掲げて言ったら母はなんて言ったと思う?母は自信満々に満ちた顔で言った。 「当たり前でしょ、誰にアドバイスもらったと思ってるの?」
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