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 日が経つごとに夕食の品数が少なくなっていった。少しずつ日常が狭まっていくようだった。ずっと昔、妻を高級料理店へ連れて行ったときのことを思い出した。こんな美味しいもの食べたことがない、そう言って目を輝かせていた妻の顔が忘れられない。 「すまない、私がもう少し稼げれば」  野菜の多い炒め物を箸でつついていた私は、こころのなかにあった謝罪の言葉を口に出さずにはいられなかった。 「何言ってるの。あなたが稼いでくれるからこうしてお腹を満たせるんじゃない」  油断すると幸せがこの身を襲ってきそうで、私は妻の顔を直視することができなかった。抗幸福剤を購入する余裕もなくなり、残すは小瓶のなかに転がる数錠のみとなった。貧困さとは一度に生活が転落するのではなく、徐々に削られるようにしてそうなるのだと改めて実感した。  友人の自殺以来、自分のなかで「死」というものがより濃密で身近なものに姿を変えていった。生活をするには物事を行う順番があって、私の場合、帰宅から食事、入浴、それから翌日の準備をして眠りに就く。「死」はそういった生活における順番を待っているような気がする。いや、もしかしたら列に割り込もうとしているのかもしれない。  ずっと考えていた。私自身は幸せになりたくないのに、妻には幸せでいて欲しい。そのためにはどうしたらいいか。私が死んだら、妻にはある程度贅沢ができるくらいの保険金がいくようになっている。私の命の値段としては充分すぎるほどだろう。やっぱり、妻だけが幸せになるにはその方法しか思いつかなかった。  外を野犬の遠吠えが駆けていく時間帯、私は妻が寝静まったのを確認し、ベッドを抜けた。リビングの机に真っ白の羊皮紙を置いたとき、自殺した友人の家にあったテーブルを思い出した。埃が薄い膜を張っていたあのテーブルと異なり、このテーブルはいつも綺麗に保たれていた。  遺書に記すことは決めていた。これまで楽しかったということ、妻に幸せになって欲しいということ、私のことは忘れてほしいということ。白紙が埋まっていくにつれて、身体が重く湿っていくような気がした。湿気がそのまま心の重さだと思った。  ふう、息を吐く。友人が自殺したあとに購入した死ぬのに手頃なロープが、店で手に取ったときよりずっと重たい気がした。ロープに結び目をつくり、カーテンレールに引っかける。机の両脇に添えられた椅子を一つ取り、垂れ下がる縄の下に用意する。首を縄に通すとほつれた固い繊維が肌に当たって不快だった。恐怖を追いやるみたいに、肺の空気を全部吐き出す。死ぬのは怖い。悪寒というよりもっと抽象的な、生きていること、のようなものが背骨を駆け抜けていった。  抗幸福剤に恐怖を軽減する作用があればよかったのにと思う。だが、愛情を失わずに済んでよかった。これで彼女のことを思って死ぬことができる。  大きく息を吐き出し、椅子を蹴る。がたん、大きい音を立てて椅子が転がる。次の瞬間、頭蓋骨が外れてしまいそうな重みが顎の下に食い込んだ。顎の両脇を縄が締め付けている。変に口を開いたら顎の骨が外れてしまいそうだ。水面の見えない、海の深いところに沈められている。苦しさと恐怖に脳が溺れてしまいそうだ。頭が重くなっていく。  次第に遠くなっていく私の意識は、臀部を襲った強い衝撃により無理矢理連れ戻された。次に理解したのは、自分の顔が涙だか唾液だかよくわからない液体で濡れているということだった。 「あなた、何をしているの!」  あ、と思った。手足が強張ったみたいに上手く動かなかった。顔から滴った液体が首のロープですれた部分に達し、つんっと軽く沁みた。なんとか目を拭うと、そこには涙で顔をぐちゃぐちゃにしながら駆け寄ってくる妻の姿があった。先ほどまでロープを引っかけていたカーテンレールが、悲しそうに歪んでいた。
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