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「ねえ、覚えてる?」  ベランダに座って雨の止んだ空を眺めていると、私の手に妻の皺だらけの手が重なった。 「何が」 「あなたが自分を不幸にすることに囚われていたときのこと」 「ああ、覚えているとも」  私が抗幸福剤をやめてから二十年が経った。国の景気はいいとは言えないが、それなりの生活を送れるようになった。 幸せに過ごしている自分を完全に許せるようになったわけではない。それでも、隣にいる妻が笑っていればそれでいいと思える。 「私、いま、とっても幸せだわ」 「どうしたんだ、いきなり」  名前の知らない鳥が庭を横切り、それから空高くへ羽ばたいていった。小棚に置かれた小瓶のなかに、使用期限の切れた錠剤が悲しそうに転がっていた。
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