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四
武田家の次の標的は上野国(群馬県)の箕輪城となった。出陣は十月。総大将は信玄の弟で影武者の武田信廉である。
当然、信玄は隠し湯で病気の治癒をしている。
(機は満ちた。いよいよ明日か)
虎昌は普段と変わらぬ行動を心がけていた。しかし、出陣に先だって源四郎が虎昌の屋敷を訪問してきたのは幸か不幸か、虎昌を焦らせた。どのみち会いに行くつもりだったのだから手間が省けた、と虎昌は思うことにした。
源四郎は無愛想に縁側に腰をかけた。手には火縄銃を持っており、銃口を上にして立てかけた。
「源四郎。何しにきた?」
虎昌は火縄銃を一瞥した。卑怯な飛び道具は好きになれない。
「兄者も年老いた。なに、心配になっただけよ」
「ははは。お前に心配されるとは本当に老いたのかもしれん。心配などいらんわ、馬鹿者め」
「そういうな。気になるのは兄者の面構えよ。昔の精気が戻っておる」
「誉めてくれるのか」
「逆だ。だから怖いのよ。老人に無理されては困るからな。使わんか?」
源四郎は銃口をとんとんと叩いた。
武田家では馬術、弓術、兵法に銃を加えて武芸四門とし、武士に必要な教養とみなしていた。銃の重要性に、いち早く気付いたのは何を隠そう信玄その人である。
「いらんお節介だ。銃は好かん」
当然だ。銃の射程距離と殺傷能力の高さ、何より操作の利便性は認めざるをえないが、生き死にの感覚が薄まるのだ。
「そんなものに頼るからお前はまだ青二才なのだ」
「俺は御館様の意向をくんでおるだけだ。持ってみんか」
虎昌は火縄銃を持ち上げ、重さと感触を確かめるように構えてみた。
「似合っとるではないか」
「ふん。これは御館様の闇だな。戦に勝つためなら手段を選ばぬ」
「それの何が悪い」
「悪くない。寂しいだけじゃ。そういえば以前、御館様の闇について話をしたな。覚えておるか?」
「ああ、覚えておるが」
「いつからだと思う? 御館様にも可愛い幼子だったときがある。いつから冷徹な御仁になられたと思う?」
「謎かけか。やめてくれ。苦手だ」
「そういうな。考えてはくれんか」
源四郎は腕を組み、頭を垂らすと、
「謀叛かのう」
と呟いた。
「信虎様を追放した時、実の父と絶縁したことで、御館様の心に影が射した。それを振り払うために遮二無二になっていった結果と考える」
「なるほど」
「まさか兄者。義信様の謀叛も必要だと言うつもりではなかろうな?」
「断じて違う。義信様は謀叛を諦めた。間違いなくだ。わしの命にかけて誓う」
「ならば良い。答えは?」
「わしはお前とは考え方が違う」
「どのように」
「それがわからんからお前は青二才なのだ」
虎昌は火縄銃の照準を空にむけた。
一羽の鳩が飛んでいる。
虎昌は鳩の動きを追いかけた。一周、円を描いて庭に降りてくる。「ズドン」と言って、虎昌は引き金を引く真似をした。
「吉兆だ」
虎昌は源四郎に火縄銃を押し付けた。
「こんなものには頼らん」
「まあいい。あくまで馬術に頼るか」
「ああ。戦場に立つ限り、いつ死ぬともわからん。ならば誇りと共に死にたいからな。武田は馬だ」
「そうか」
「お前は違うな。わしとは違う。なあ源四郎。武田家の未来は明るいと思うか?」
「気持ち悪いことをいうな。そんなもの誰にもわからん。何が起きてもおかしくない世の中だ」
虎昌は源四郎の目をのぞきこんだ。
良き目になった。冷えた瞳を見ていると背筋が凍るような迫力がある。
同じ血を分けた兄弟なのに、虎昌と源四郎は真逆の成長を遂げた。
当然かもしれない。
源四郎は信玄の影響を大きく受けて育ったのに対し、虎昌は自身が育てたはずの義信に逆に育てられたような感覚を持っているのだから。
「武田家の未来は明るいぞ。わしがそうする」
「己の技量を買い被りすぎだ」
源四郎は大言壮語に怪訝な顔を向けてきた。
「馬鹿もの。この意味がわからぬか。帰れ。わしは忙しいのだ」
源四郎がいなくなると、虎昌は口元を引き締め、鎧櫃を取り出した。
いつになく深い色をしている具足と見つめあう。
虎昌は盃に酒を満たし、一口で飲み干した。
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