川井憲次

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川井憲次

川井憲治氏との出会いは 『絶愛』という曲の入った尾崎南原作の漫画『BRONZ』のCDを 中古で手に入れ、曲が気に入り 【音楽 川井憲治】という名をネットで検索したことでした。 全く予備知識もなくPCにも興味ない環境でしたが、 そこから始まった広がりは興味深いものです。 まず家人の協力を得てHPを立ち上げ、 さまざまな項目を設けました。 “2ちゃん”も何も知らず(“したらば”からの系譜は無視) そこからの展開が楽しかったです。 声優の速水奨のファンクラブにも入り、 その一枚のCDを制作したスタッフとチョットだけ交流を持ち 川井憲治の掲示板にも遊びに行き云々 貴重な体験の連続でした。 その詳細は全て電脳空間に消え去りましたけれど…。 私がこれを記述してる理由は コロナ禍の影響の深さと、この先の未来を憂うから。 紙媒体(木簡etc)ならば比較的確実に残りますが、 電脳空間は削除したら終わりで。 (残すためにはバックアップとかも必要だし) 過去の経験においても“証拠”を残すことが出来ず 悔しい思いをした事も多々あります。 此処からは、“気でも狂ってるんじゃないか?” と言われたらそれまでの話ですが 子育てにひと段落着いた私は、 就職先を探すべく一つの方法の アドバイスを受けてました。 「ライターとして仕事を探しているのなら  一本小説を書いて、  それを面接官に見せると採用されやすいよ」 と。 アドバイスをくれた友人が、 そうして大阪の会社に採用されたと言いました。 よく言われていたことは 「“その手”の仕事は名古屋にはない」 という一言でした。 それから一本の創作作品を書き、 それを持参して求人広告で見た会社に出かけると 「400時詰め原稿用紙で1000円程度ですが、やってみますか?」 と言われ、そこから内職程度の仕事を頂くようになりました。 その面接に使った原稿を書いてる丑三つ時、 BGMとして川井憲治のホラー系の曲を流していると うちの玄関のタイル張りの場所に 黒い霧のようなものが現れたのです。 “ぞっ”として 室内の電気を全てつけ曲を明るいアニメ系に変えました。 その出来事を川井氏のBBSに書込みすると 数日後、彼から返信がありました 「それは、僕が望んだことです。  そういう具合になると良いなと思い、いつも作曲してました」 という内容でした。 “信じる”“信じない”という事ではなく、 そういう事もあるんだな程度の事です。 ちなみに私は (自分がおかしくなったんじゃないか?) と思い専門医にも相談しましたが、 その心配は全くありませんでした。 今これを書いてる私は、まだ“まとも”ですが 歳を取れば痴呆にもなる可能性はあるでしょう。 人生百年時代。 息が途絶える時まで 『脳』が健康でいられるとは思ってません。 それを考えてネットで 一番うれしかったことを書き留めておきます。
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