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なんだかおでんが食べたい。ものすごく食べたい。ふと、そう思った。
大根、玉子、こんにゃく、竹輪、はんぺん、餅巾着、昆布、蛸の足などなど。様々な具財たちが、黄金色の液体の中でその身を寄せあっている。私は大根がなによりも好きだ。一口噛んだだけで、優しい出汁の味とそのじんわりとした温かさが舌の上に広がる。思わずよだれが出そうになり我にかえった私は、
「ねえ、なんかおでん食べたくない?」
と隣にいた渉くんに尋ねた。
彼は見ていたテレビから視線をこちらにむけると怪訝な様子で、
「いや、別に食べたくないけど。まだ九月だし。暑いじゃん」
「渉くんは暑いときに無性に熱い物が食べたくなったりすることってないの。おでんとか鍋とかラーメンとかさ」
「ごめん、ちょっとよくわからない」
眉間に薄いしわを寄せながら首を横にふられてしまった。
冬はよくお風呂上がりにアイス食べてるでしょう、それと同じ感覚だって。私はすぐにそう言葉を続けようとしたが、結局「ええ」というたった二文字しか出てくることはなかった。渉くんのつれない返事で、出鼻を挫かれたような気分になったからである。
しかしやはり、どうあっても私はおでんが食べたかった。ものすごく食べたかった。その気持ちは止まることなく、時間とともに膨らんでいくのを感じた。まるで本能レベルで体がおでんを求めているようだと思った。
よし、決めた。
私はテレビの前から立ち上がると部屋の隅まで歩いていき、そこに置いてあった自分の鞄の中から財布と携帯を取り出した。
「どこか出かけるの」
「コンビニ。おでん買ってくる。前に売ってたの見たから」
すかさず尋ねられてそう答えた瞬間、テレビの音声が突然途切れた。おや、と思いふりかえる。電源が切られたらしく、液晶画面は真っ暗になっていた。ちょうど連続殺人犯を探偵である主人公が名指しするシーンだったのに。どうして。寸止めにもほどがある。結局犯人は誰だったんだろう。
渉くんは手にしていたリモコンをテレビ台に乗せると立ち上がりながら、至極真面目な顔つきで、
「僕も行く」
「いや、なんで」
「女の子が夜遅い時間に一人で出かけるなんて危険でしょ」
「遅い時間て、まだ九時前――」
「いいから」
有無を言わせぬ口調。けれど表情はどこか春の日ざしのように穏やかで優しい。
先ほどの全然乗り気のない態度が嘘のようだと思った。部屋の隅に突っ立ったまま思わず憮然としていた私の横を、財布を手にした彼はあっという間に通りすぎていってしまった。
「ほら、喜久子。行かないの」
玄関のほうから声が飛んでくる。
嬉しいような、けれど腹も立つような。二つの相反する感情が胸の中に湧き上がってきて、私はたまらず軽いため息をついた。
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