◆1:日暮れて四方は暗く

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 コインランドリーは奥ゆかしいお宿だ。水垢と洗剤の薄い匂いが、雑多に混じる灰桜色。昼もつけっ放しの蛍光灯。壁の硝子(ガラス)は厚化粧で、屋根があって空調が軽く効いて、寂れた椅子に座れ、大体の店舗は深夜まで安上がりに使える。  詩月セイは外泊の日には、ネットカフェに行く前の時間、町中のコインランドリーを転々としている。うら若く小柄なセイが一か所に何度も現れていると、いつかは悪い輩に目を付けられるかもしれないからだ。夜の町にはどこにだって、かよわい獲物を探す狼がいるものなのだ。  薄青いデニム生地のジャケットに、鼠色のオーバーオールをはいた細っこい若者。セイの子供っぽい普段着は、現在一緒に暮らす(ともえ)郁子(いくこ)の硬い言いつけだった。脱がし難い服を着ておくことが、襲われる可能性を少しでも減らすと郁子は信じている。だから財布も、目につき難い場所、オーバーオールの内側につりさげる軽いポシェットに入れさせている。  リズミカルに唸る洗濯機を覗き込むセイ。懐の胸ポケットには、赤いスマホがすっぽり納まっている。郁子がくれたスマホの暗い画面から、今夜もセイを心配する天使は叫ぶ。 「セイ、ポケット全部の防犯ベルさ。どれでもいいから、危なければとにかく鳴らしてね」  働き物の洗濯機に、かきけされないよう張り上げるささやき。「月虹(げっこう)の天使」たる志音(しおん)に、セイはいつも、曖昧な笑顔で頷く。その穏やかさが志音は不満だ。もう何度口にしたかもわからない諸注意は、セイがわずか齢十六で家出したさまよえる子供だからで、夜の女の郁子がセイを拾ってくれなければ、今頃どうなっていたかわかったものではない。  郁子が仕事の日には、外で寝泊まりをするセイ。こんなときに答えてくることは一つだ。 「おれなんて、襲われるほどの魅力はないんじゃないの。郁子さんも心配性だよね」  うろうろ、と洗濯機と椅子の間を行き来し、手に取ったスマホを眺める黒い目が笑う。さっぱり切られた黒髪は元気にはねて、確かに見た目からはセイは十六歳には見えない。  志音はそれでも不服だ。高らかにNO! と返せば、セイの耳にはどれほど届くだろう。 「そういう手合いは魅力とかあんまり関係ないし、セイが不用心過ぎるの! 夜に子供を外に出すイクコもイクコだけどさ!」 「こんな沢山のベルや、ネットカフェ代を出すなら、家での仕事は取らなければいいのに。郁子さん、経済観念がやっぱりザルだと思う。志音はそう思わないの?」 「あれはホテル代も客からせしめるためじゃん。確かにトータル、どっちが得かは難しいけど、移動が少ない分お客を沢山取れるのはあるみたいだよ」  こんなことを言いたいわけではない。けれどセイには煙にまかれる。くすり、と笑ったつぶらな瞳に志音は弱い。おそらく郁子も、賢い子犬を拾った気分なのだろう。
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