133人が本棚に入れています
本棚に追加
/58ページ
エピローグ・春 終
「失礼しまー……って、あんただけか」
「職場でそれはやめてくれるかい」
他に誰も居ない研究室の席で奏人さんは苦笑いを浮かべる。
正面の窓は開け放されていて、通る風はなんとなく春の匂いがして屋内でも気持ちがいい。
「……スイマセン。教授は?」
「学長のところに行くって言ってたから、もうすぐ帰るんじゃないかな。何か用だった?」
「うん。卒論の質問にちょっと」
「なら、僕じゃ役に立たないね。時間があるなら少し待っていればいい。……そうだ。きみ、桜餅は食べるかい?」
と奏人さんは傍らに置いてあった包みを取る。
「食うけど、いいの?誰かの貰いもんとか?」
「僕が買って来たんだよ。今日は他に行く用があって遅い出勤だったから、皆の差し入れに」
奏人さんは、花びらの透かしが入った懐紙に載せて桜餅を差し出す。
懐紙なんて家では見たことなくて、この人がちょっとした時に使うので初めて知ったけれど、それだけでずいぶん物の印象が変わるし、そういうところがこの人だと思う。
「……ありがと」
隣の空いてる席に座って一口かじると桜の葉の香りが鼻に抜ける。
「美味い」
「それは良かった」
「俺、あのつぶつぶした方が好きだけど、これも美味い」
「ああ、道明寺か。じゃあ、今度はそっちを買って来ようか」
微笑んで、思い出したように奏人さんは言った。
「そういえば、来る途中で小山君たちに会ったよ。遅いお花見デートの途中だったようで」
「ああ。うん。最近は学校でも普通に一緒に居るし。良かったんじゃねーの」
最後のかけらを口に放り込んで懐紙で手を拭いていると
「少し、羨ましいね」
ぽつりと、奏人さんが言った。
最初のコメントを投稿しよう!