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時は遡って一九七三年にジョージ・A・ロメロ監督は細菌兵器の事故による混乱を描いたパニック・ホラー映画である『ザ・クレイジーズ/細菌兵器の恐怖』(後の二0一0年に『クレイジーズ』としてリメイクもされる)という、その名もズバリな細菌(些末な事柄ではあるが細菌であってウィルスでない)蔓延恐怖映画を撮っている。 だが、一九九0年代になればゾンビやザ・クレイジーズ以上に異常感染、即ち、パンデミック映画なるプロパーしたウィルス問題主体の映画が出て来る パンデミック映画で代表的な例で言えば『アウトブレイク(一九九五年)』や『12モンキーズ(一九九五年)』などが挙げられるが、第三ミレニアムになると、ゾンビ映画に異変が起こり始めた。 二00二年に公開されたダニー・ボイル監督の『28日後…』の登場である。 内容は人間を凶暴化させるウィルスが蔓延し、感染者が人々を襲ったために壊滅状態になったロンドンを舞台に、生き残った人々のサバイバルを描く……というこれまた感染系ゾンビ映画ではあるのだが、この映画によってゾンビの暗黙の三大ルールの一つであった、動きが鈍くて走らない、が破られ、それはそれは活きの良いゾンビが暴れまくる映画となっていた。 確かにタフで走るゾンビ系の派生映画は以前にも『バタリアン(一九八五年)』や『デモンズ(一九八五年)』で散見できたが(バタリアンにつては意思疎通も会話もできた)、バタリアンやデモンズは厳密にはゾンビではないので、恐らく、ディス・イズ・ザ・ゾンビとしてゾンビ三原則の禁忌(タブー)(?)を破った本格的商業映画は「28日後…」がスクリーン上初めてでなないだろうか。二00七年にはダニー・ボイルが製作総指揮にまわり『28週間後…』という続編も作られている。ここでも感染ゾンビたちは元気よく駆け巡っていて、このようなゾンビ像はもはやモダン・ゾンビという名称よりも、「ポスト・モダン・ゾンビ」と言った方が適っているのかも知れない。 走るゾンビ。クラシック・ゾンビ映画ファンにとっては戸惑いもあるかも知れないが、もはや近年のゾンビ映画はジョージ・A・ロメロが新規に作った一連のゾンビ映画である『ランド・オブ・ザ・デッド(二00五年)』や『ダイアリー・オブ・ザ・デッド(二00七年)や『サバイバル・オブ・ザ・デッド(二00九年)』などからも変化は見られ、ゾンビと意思疎通が可能であったり、ザック・スナイダー監督によるジョージ・A・ロメロ監督の「ゾンビ」直系のリメイクである『ドーン・ザ・オブ・デッド(二00四年)』でさえもゾンビが走る走る。さらにそれらのゾンビの新文化的行動(?)は二0一0年からアメリカのテレビで放送開始した『ウォーキング・デッド』でも認められ、ドラマの爆発的ヒットによって、ゾンビ映画はかつての見世物小屋的なポジションから健全な娯楽の一環、として市民権を得て、まるでポップでキャッチーな映画の、極めてマトモな商業映画ジャンルになった(ブラッド・ピットという一流所の俳優が主演した『ワールド・ウォーZ(二0一三年)』という感染系ゾンビ映画の存在も大きい。世界興行収入五億二百六十万ドル(約四百九十億円)を記録したことで、ブラッド・ピット主演の作品としては二00四年の『トロイ』の四億九千七百三十万ドルを抜き、過去最高の興行収入を記録した)。二000年代以降のゾンビ映画にしか触れていない若いオーディエンスにとっては、ゾンビは走って当たり前、ゾンビは話して当たり前、となっているのかも知れない。現代の若人が喫茶店と言えば、漫画喫茶であり、純喫茶などの存在を知らないように。  今日に至ってもゾンビ映画の多様化は止まらない。自分自身がゾンビである事を自覚するゾンビ映画、ゾンビ化していく自分の娘を日々見つめているゾンビ映画、果てはミュージカルなゾンビ映画、ゾンビと人が恋するゾンビ映画などなど、細かいストーリィは割愛するが、そのようなゾンビ映画の異色作として、『ショーン・オブ・ザ・デッド(二00四年)』、『ゾンビーノ(二00七年)』、『コリン(二00八年)『ゾンビ・ランド(二00九年)』、『ウォーム・ボディーズ(二0一三年)』、アーノルド・シュワルツェネッガー主演の『マギー(二0一四年)』、『アナと世界の終わり(二0一九年)』……他多数でもはや百花繚乱。  こうしてゾンビ映画は賛否両論こそあれ、これからも進化を続けていくのだと思える。
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