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人間が人間らしくない生活を強いられる時に、人間はゾンビ化していくのではないか? という命題(テーゼ)で論を進めてきたつもりだが、今回の改正新型コロナ・ウィルス感染症問題に直面して、肉体は病み精神は恐怖に晒され、人々は静かに理性を保ちながらも、その突如襲ってきた通り魔的な脅威に慄き、混乱と不安を抱える。かつてのソビエト連邦の政治家でありマルクス主義思想家でもあったトロツキーは、「革命や戦争は予見する事はできる。しかし、野鴨猟(かもりょう)を予見する事は出来ない」と言った。コロナ・ウィルスも予見できるものではなかった。また、自然災害自体なども同類であろう。ただ、静かにサバイブしているウィルス感染対策の中で、社会や経済のみならず、カルチャーや個人の心理まで停滞していくのは、ゾンビという半生半死化していく、言わば退化現象に繋がっていくのではないか。 それでも過去においてのパンデミックの事態である、スペイン風邪(主に一九一八年~一九二0年に世界各国で極めて多くの死者を出したインフルエンザによるパンデミック。世界中で五億人が感染したとされ、これは当時の世界人口の四分の一程度に相当する。その中には太平洋の孤島や北極圏の人々も含まれた。死者数は千七百万人から五千万人との推計が多く、一億人に達した可能性も指摘されるなど人類史上最悪の感染症の一つとなっている。ちなみにこれらの犠牲者は、まだ渦中であった第一次世界大戦の戦死者よりも)や、十四世紀に起きたペスト(黒死病)の大流行では、当時の世界人口四億五千万人の二十二にあたる一億人が死亡したと推計され、コレラも年間に幅はあるが、年間約三万人~約十三万人の死者を出しているので、実質被害を比較論的観点から語れば何ともいえないが、問題は規模的または数的な論ではなくて、その不意に訪れたディザスター(今回ではパンデミック)において、人間生活、人間活動にどのような影響、さらには人間自身の思考に変化をもたらすか。それがネガティブな解釈をすると、人間の尊厳の矜持、自意識さえ失った【ゾンビ化】なのでないかと問いたい。 近年ではSARSやMERSなどの感染症もあったが、それらの猛威を遥かに凌いだコロナ・ウィルスの脅威。その中からまた何らかのアレゴリーを汲み取り、また教訓として新しい【ゾンビ映画】が現れ、時代の要望に応えるのだろうか。人々が歴史の中、危機に瀕した時代の折々にエポック・メイキングのゾンビ映画が出没したように、果たして我々は何かをそこから見出す事が出来るのだろうか。 (注:映画の公開年と上映時間は海外と日本では若干のズレがある)                          了
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