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「あっ、ほんとじゃん。もー、早く言ってくれよな」
男子生徒と二人で音楽室から出て鍵をしっかり閉めたことを確認すると、男子生徒はふわりと穏やかな笑みを浮かべる。
「じゃ、また明日」
また、明日。
Xにこの『異界』での明日はない。けれど、この男子生徒はXと会えると信じて疑っていないようだった。Xはそれに応えるように、片方だけの手を振った。男子生徒は笑みの気配だけを残して、廊下を大きな歩幅で歩いていき、階段に消えていった。
Xは男子生徒が見えなくなった時点で振っていた手を下ろし、それから指をぎゅっと握りしめてみせる。目には見えない何かを掴むように。
廊下に差し込む光は徐々に力を失っていく。響き渡るチャイムの音色を聞きながら、Xはただただその場に立ち尽くしていた。
私は、ただ、そんなXの視点を共有することしかできない。
彼の思いまでを共有することはできないし、する必要もないとわかっていても。何故だろう、わずかに胸を締め付けられるような思いに囚われるのだ。
ディスプレイの向こうでは、ゆるやかに、ゆるやかに、時間が流れていく。……遠い日に過ぎ去ってしまった、今はもう戻ることのできない時間が。
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