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4 . 違うんだよの先輩
当然、教師たちは、ストをやめて、授業に出るよう説得に来た。
だが、彼らは、
「 人間にとって一番大事なことは、何だとお思いですか?
なぜ、それを今まで先生は、教えてくださらなかったんですか?
その一番大事なことと、先生の数学の授業はどう関わるんですか?」
などと先輩たちに問いつめられ、だんだん、姿を現さなくなった。
もちろん、口のうまい教師は、それなりに答えることはできた。
が、いかにも口先だけ、その場しのぎの答えという感じなのだ。
「 何も考えず生きてきた。
何も考えず高校、大学へ行き、教師になっていた。
あの時、君たちに問い詰められ、初めて、それがわかった。」
2年後の卒業式の日。
涙ぐみながら、そう告白した担任を、今でも、ぼくは、思い出す。
だが、学校側には、「 最終兵器 」が存在した。
誰が名付けたのか、「 ソクラテス 」。
その教師は、語りに、不思議な説得力があった。
「ストは、困難な現実からの、逃避に過ぎない。
逃避からは、何も生まれてこない。
今、君たちに必要なものは、ただ一つ。
自己・社会変革を可能にする、科学的認識だ。
君たちだけで、何百時間討論しても、手に入れるのは不可能。
授業によってのみ、それは、得ることができる。
授業は、人類の歴史・文化遺産の継承でもある。
授業なくして自分・社会の変革なし !」
ソクラテスは、熱く生徒たちを説得した。
教師の発言に、初めて、拍手が起こった。
「 伝説のバトル 」は、こうして始まった。
延々1時間にわたる、壮絶なる闘い。
ソクラテスと自己否定の先輩の、大激論。
両者の発言ごとに、どよめき、そして、大拍手が。
ぼく的に言えば、決定的だったのは「 たとえ話力」の差か。
自己否定の先輩のたとえ話は、とても、解りにくい。
が、ソクラテスのたとえ話は、とても解りやすいのだ。
「ナルホド!」と思わせる「 味 」すらあった。
とうとう、あの自己否定の先輩が、沈黙。
自己否定の先輩の不敗神話が、今まさに、崩壊か!?
「 何かが違う。
ソクラテスの論理・たとえ話は、完璧。
だが、何かが違う。」
ぼくには、そんな気が。
何かが、何かが違うのだ。
もどかしかった。
悔しかった。
その時、一人の先輩が、中央スタンドマイクへ。
彼は、両手で、マイクを、握りしめ、
「 違う、違うんだよ!」
そう叫び、そのまま、泣き崩れてしまったのだ。
熱くなった。
胸が。
真っ直ぐに、伝わってきた。
彼の思いが。
「 そうだ、違う、違うぞ!」
後ろの方で、誰かが、叫んだ。
「 違う、違うんだよ!」
ぼくも、思わず、叫んでしまった。
自己否定の先輩が駆け寄り、泣き崩れた先輩を抱き起こす。
ものすごい、大拍手。
体育館が壊れるかと思うような。
だが、「 何がどう違うのか 」、結局、誰も説明できなかった。
「 いいんだ、『 科学的認識 』なんか、クソ食らえ!
おれたちは、ハートで考えるんだ! 」
ぼくや友人たちは、そんな負け惜しみを、言い合った。
その日、ぼくらは、『 若者たち 』を、大声で歌いながら帰った。
「 君の行く道は 果てしなく遠い 」とかいう、あの歌である。
みなで、商店街ど真ん中を通過、今思えば、恥ずかし過ぎだが。
その先輩は、当然、ぼくらの、アイドルになった。
名付けて、「 違うんだよ!」の先輩 。
「 違う、違うんだよ!」
この言葉は、ぼくらの「 終わりなき流行語 」となった。
「 次、数学だっけ?」
「 違う、違うんだよ、英語だよ!」
とかの、ショーモナイ使い方が、ほとんどなのだが。
もちろん、泣き崩れる演技付きなのが、絶対のお約束。
( 5. 卑怯よの先輩 に続く )
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