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紅
薄暗く狭い小路を進むと、軒先に赤いランタンを吊るした小さな店が一件だけ開いている。周りはどの建物も全てシャッターを下ろしていて、それらは既に錆び付き、敷居には雑草や苔が生えている。当然階上に人が居住している気配も無い。今にも落ちてきそうな窓枠や、崩れたブロックがあちらこちらに散乱している。
死んだ街だと、そう思った。背筋が泡立つ。
私は引き返そうとしたが、振り向いたそこに、もと来た道は既に無かった。じわりと冷や汗が流れ落ちる。胃のあたりが急激に収縮するのが分かった。
「おや」
背後から声がし、弾かれたように振り向くと、そこにはこの路地には似つかわしくない、人の良さそうな福々とした老人が立っていた。
店仕舞いをする為に店頭に出て来たのか、軒下に並べてある雑貨を台ごと引き込もうとしている。
「突っ立ってるなら、手伝っておくれよ」
主人がそう言って笑うので、私は言われるままベニヤ板で作られた、安っぽい台を二人で店内に運び入れた。
「やあ、ありがとう。助かったよ」
「…日本語話せるんですか?」
私が聞くと、主人は親指と人差し指をくっつけて、「少しだけね」と笑った。そして間を置かずにこう続けた。
「迷い込んだね」
私は黙り込んだ。何故かこれ以上喋らない方が良いと感じたのだ。
「ここは特別な夜市。普通の人は入れないよ」
私が押し黙っていると、主人は如何にも困惑したように溜息を吐いた。
「お金持ってる?」
私は、父から渡されていた小さながま口財布から、あるだけの小銭を掌に出して見せた。それを見て主人は更に肩を落とす。
「それじゃ何も買えない。でも何か買わないと、ここからは出られないよ。そういう決まり」
私の目からぼろぼろと涙が溢れ始めるのを見て、主人は明らかに面倒臭いといった様相を見せた。
「困ったね。とにかく中においで。何か探さないと」
そう言って主人は中に入って行った。
店内には、何を売っているのか分からないような、ガラクタにしか見えない代物が、崩れそうな木製の棚に雑然と積まれていた。
「買い物が出来ないとどうなるの?」
鼻を啜り上げながら聞くと、主人はやや間を置いて答えた。
「ここに呑まれる。それだけ」
幼いながらもそれが何を意味するのかは理解できた。崩れた瓦礫や枯れたような雑草。煤けた板戸など、朽ちてその一部と成り果てるだけ。当然ながら、家族とはもう会うことは出来ない。父のあの背中を追うことも出来ない。
「でも一つだけ方法がある」
私の思案を読んだであろう主人が、重い声で言った。私は弾かれたように顔を上げた。
「何かと交換すれば、それも買い物と同じだよ」
「…何と交換すれば良いの?」
私は睨むように顔を上げた。
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