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「何って、自分が持ってる物だよ」  主人は当たり前とでも言うように答えた。親切なのか投げやりなのか、何れにせよ早くここから去って欲しいという雰囲気は伝わってくる。商い人からすれば、金を持たぬ子供など、本来関わり合いになるべきものでも無いのだろう。 「さあ、入っておいで。気になる物があったら、手に取る前に教えるんだよ」  私はおずおずと中に入り、棚に置かれた商品を見て回った。何が正解かも分からず、何某かの悲劇が待ち受けているのは最早避けようが無いという意識から、全く集中する事ができない。  私はただ店内をグルグルと回り続けた。主人はそんな私の様子を根気強く伺っているようだった。そんな時、ふと棚の奥に隠すように立てかけてある、美しい面を見つけた。流れるような眦と、柔らかな微笑みを湛えた、観音像を思わせるような面である。 「それが気に入ったのかい」  いつの間にか背後に立っていた主人がやおら口を開いた。 「これは難しいよ。キミに扱えるかな」 「でもそれが良い」  私が言うと、主人は僅かに表情を固くした。 「他に気に入るものは無かったかい」  だが出し惜しみされれば、余計にそれに固執したくなった。 「私はこれが気に入ったの。どうせ何かと交換するなら、気に入ったものが良いじゃない」  私の言葉に、主人はニィッと笑った。 「ならそれを手に取ってごらん。それでその面はキミの物だよ」  私がその面を取るのと同時に、主人は奥まった場所に置いてある小さな椅子に座り、引き出しの付いた脇机で、油紙のようなものに何かを書き始めた。 「交換の証明書を書こう。これを持てば元の場所に戻れるよ」 「私は何を出せばいいの?」  主人はやや間を置いて言った。 「面を取ったなら、顔と交換だ」 「…顔?」  私が問うと、主人は筆を動かしながら言った。 「交換できるのは体の一部や、記憶とか色々だけどね。お金が無い人は、そうしてここを出るんだ」  そう続けて、主人はその書き付けらしきものを折り畳み、ランタンと同じ紅い色の封筒に入れて、私に差し出した。 「キミはこれから一生この面を着けて過ごすんだよ。元の顔は勿論別の面になる」  私が呆気に取られていると、主人は口の端を曲げて言った。 「心配せんでも、面を着けてる事は他の誰も気付かない。あんただけが自分の本当の顔を見れないのさ。さあ、もう時間だ。それを着けてやるから、早く元の場所にお戻りよ」  主人は追い立てるように矢継ぎ早に言うと、逃げ出そうとする私を後ろから押さえつけるようにして、手に取った面を顔に押し当てた。  途端に暗闇に包まれた私は、前に倒れ込んだ。 「それは一生外れないよ。もし外した所で元の顔も無いからね」  掻きむしるように顔に触れると、手指の感触は確かに感じるが、そこには柔らかい肌とは違う、全く異質な薄い膜のような物が張り付いているように思えた。 「最後に教えてあげるよ。その面は着けた人に合わせて表情が変わっていくよ。生き方は顔に出るって言うだろう?…キミにそれが理解できると良いけどね」  同情にも似た、主人の声を聞いたのはそこまでだった。気が付けば私は、あの路地に入る前の大通りの真ん中で座り込んでいた。 「貴子…?」  直ぐ頭上から父の声が降ってきた。私はその父の脚に縋り付くようにして、大声で泣いた。
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