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 私が中学3年生の時、母は私と妹を連れて日本へ帰った。表向き、日本での学業へ従事させたいという事だったが、父と母の不仲は既に姉妹の知る所であり、二人の間には埋めようの無い溝があるのは明白だった。  私は父が離婚を申し立てている事も知っていた。だが母は頑として首を縦に振る事は無かった。既に役付の会社員の妻である肩書きを手放す気は毛頭無かったのだろう。大人の思惑に振り回されている事への、私のフラストレーションは、如実にその周囲への態度に現れた。それを反抗期と取るかどうかは定かでは無かったが、私は一切母とも、母の肩を持つ妹とも口を聞かなくなった。  ただ、本来ならば極端に表情を無くしたであろう私の顔は、以前夜市で手に入れた顔のまま、穏やかなままだった。感情を伴わない表情は、地団駄を踏むほどに厭わしかったが、何をしても取れる気配は無く、疎ましく思えば思う程に、顔全体に根を張るように侵食し続けた。  やがて進学校と呼べる高校へ入ったものの、私の心は酷く荒んでいて、勉学はおろか、学友とコミュニケーションを取る事すら無くなった。ただ微笑みを湛えた仮面だけを身につけ、毎日を過ごした。  だがある日、クラスの中でも一際目立たない部類に入る女生徒から声をかけられた。彼女は美術部の生徒で、私にモデルになって欲しいと言った。 「いつも微笑んでいて、素敵だなと思って…」  私はこの一言を聞いた瞬間、目の前の女の頬を張り倒していた。怒髪天とはこの事である。偽物の顔を褒められた事が許せなかった。ただ、怯えたように自分を見上げる眼を見ていると、得も言われぬ愉悦が熾火のように宿った。この灰色の生活の中で、やっと光を得たと感じた瞬間である。  私は、小学生の頃にそうしたように、ノートの切れ端で小さなメモ紙を作って、クラスの人間に指令を与えた。頬を打った女や、少しでも気に入らない態度を取った人間に対して、制裁を加えるよう指示を続けた。皆おどおどとして私の様子を伺っているのが楽しかった。  指令のメモが一月分を超えても、教室に変化が起きない事を不審に思い始めた頃、私は突如として校長室に呼ばれた。引き戸を開けると、校長や担任と共に、母の姿があった。その時の母の表情には、明らかに憎悪のようなものが滲んでいた。  応接セットのテーブルの上には、私が書いたメモ紙が積まれていた。  私はフンと鼻白んだ。 「私は売られたわけね」  教師たちの呆気に取られた表情とは裏腹に、母は泣きながら人形のように頭を下げ続けた。私はその場で停学となった。  私が校長室を出ると、クラスの女生徒が、通りすがりに「キチガイ」と言ったので、その髪を掴んで壁に叩きつけてやった。相手が泣き崩れる姿を見て、私はすっかり嬉しくなった。ケタケタと笑う私を、母は汚物でも見るような目で見ていた。 「あんたも私が狂ってると思ってるんでしょう?」  私が言うと、母は物凄い力で私を羽交い締めにして、階段の踊り場にある鏡の前に顔を押し付けた。 「見てみなさいよ!あなたのその顔、狂人以外の何者でも無いじゃないの!」  面と向かって見た自分の顔は、あの観音のような微笑みではなく、眦を垂らして、歯を剥き出して笑う大黒天のようだった。
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