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 結局、私は自主退学に追い込まれ、母に無理やり連れて行かれた精神病院にそのまま入院させられた。夜市での件や仮面の話を訴えても、ただの妄信と判断され、直ぐに統合失調症との診断が下った。それから約ニ年間、入退院を繰り返し、最終的には民生委員の女性の紹介で、独身寮のある中小企業での食品加工の職に就いた。  母や妹からは完全に絶縁状態となっており、当然父からの連絡も無かった。  私は常に、自分を取り巻く環境の全てに憤りを感じていて、そういう状況に貶めた家族や、当時の学校関係者が許せなかった為、事あるごとにその不満を手紙にして、民生委員へ手渡していたが、彼女はその手紙を一切相手には渡しておらず、こんな事はもう辞めた方が良いと諭すように、悲しげに言った。 「アンタみたいに善人ぶった人間が一番嫌いよ」  私はカッとして、その女を突き飛ばした。少し大きくなっていた腹を見た時から、苛々が止まらなかった。私よりも随分年嵩のくせに、男を捕まえて幸せを見せびらかしている事が許せなかった。  彼女はそれから姿を見せず、代わりに警察がやって来た。あの女は流産こそ免れたものの、代わりにその夫が傷害事件として警察に通報したようだった。  私は取調べの間中、笑いながら関係のない答えを返し続けた。この時ばかりは、精神疾患のレッテルが大いに役に立った。案の定私は罪に問われる事はなく、病院へ戻って優雅な入院生活を送る事となり、あの夫婦には、改めて礼を言いたい程だったが、敢えてそれはしなかった。  やがて新たに保護司が付いた後、私は厚生保護施設へ移り、そこからマイクロバスで通う事の出来る、配送センターの仕事を得た。毎日は恐ろしく単調で、ひたすらに箱詰めを繰り返し、給料も最低賃金だったように思う。結局のところ私は障害者として扱われ、本来ならば手に入れるはずの一社会人としての地位を剥奪されていた。それも全てはこの不気味な仮面のせいだった。  かつて大黒のように不気味な笑顔を湛えていた仮面は、今や形容し難い、憤怒とも悲哀とも取れるような、実に複雑なものへと変わりつつあった。  気味の悪い顔だと、我ながら感じていた。だがそれを他人が思う事は到底許容出来るものでは無かった。  同じ部署で働く、知的障害を持つ輩達がこちらに指を差して「怖い」と言うので、すれ違いざまに、その一人の指を捻り上げてやった。監視カメラの位置などは最初から把握しているので、事が公になる事は無かった。そもそも怪我をした事すら気づかない知能の持ち主である。一般人から隔絶されたこの場においては、私が王であるに等しかった。  その時仕事場のガラス窓に移った私の顔は、お札を折り曲げて悪戯したような顔になっていた。  やがて保護施設を出て、会社が単身向けに用意しているボロアパートに移ると、好んで酒を飲むようになった。  規定の時間通りに単調な仕事をこなし続け、帰りがけに酒とつまみを買って帰るのが日課となった。流行りの服や化粧品を買うよりも、酒と煙草に金を費やし、気が付けば既に四十を迎えていた。  家族の存在すら忘れていた頃に、かつての保護司からの連絡で、父が死んでいた事を知ったが、特に何を思う事も無かった。家族という名の他人が死んだというだけの事に過ぎなかったからだ。しかしながら、心の何処かで父だけが唯一の肉親だと思っていた私は、それを知らせなかった母や妹に対して、今迄以上に憎悪を募らせた。  ある土曜日、半日上がりの日に、珍しく気が向いて、会社の近くのショッピングモールに行った。人混みの中、フードコートで煙草を吹かしながら注文した牛丼を待っていると、一人の少女がじっとこっちを見つめているのが分かった。私がその目を見返すと、少女は母親らしき人物の袖を引いて言った。 「ママ、お化けがいるよ!」  私が子供に向かって立ち上がろうとした時、ふと席を区切っていた向かいのガラスのパーテーションに自分の顔が映った。口角が大きく下がり、弛んだ口元の皺に繋がって、まるで下向きに口が裂けている。正反対に目と眉は吊り上がり、眉間には大きな皺が刻まれ、髪はザンバラに乱れて、人間の様相とは思えない姿だった。  私は絶句した。顔だけでは無い、自分の存在そのものが人では無くなっているような気がした。
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