C棟807号室

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C棟807号室

 ちょっと汚れたサッカーボールは、まるで自分みたいに見えた。  ハヤテはそれを胸に抱いた。  乱暴に玄関のドアを閉めた。  重たい鉄製のドアは軋みを立てて閉まった。  自分から出てきたのに、閉め出されたみたいに感じる。  台所の換気扇からミルクシチューの甘い匂い。外廊下に、まだ、残ってる。  あの白いシチューはご飯には合わない。  シュートが決まったら、ハンバーグ作ってくれるって、言ってたのに。  なんで覚えててくれないんだろう。  エレベーターなんか使わない。  階段を駆け降りる。  今日結果がでたんだって。お兄ちゃんはナントカというテストで全国3位になって。  お母さんは上機嫌。  お兄ちゃんが東京のナントカという高校に受かったら、文京区のお家に帰れるって。こんな田舎の古い官舎から、早く引っ越ししたいって。  せっかく試合に出られるようになったのに。  まだ四年生だけど、出させてもらえるようになったのに。  今日は2点も取ったのに。  お母さんは試合なんて見てないんだ。おしゃべりばかりして。  お父さんは今日も仕事で、試合になんか来たことない。  お兄ちゃんたちはオレを子ども扱い。難しい話してるふり。仲間はずれ。  引っ越しなんか、したくない。  駐車場に降りて、肩で息を吐く。  泣くもんか、と思う。  むしゃくしゃした気持ちで、思い切りボールを蹴った。  放物線というより、もうちょっと鋭いカーブ。  たくさん練習したシュート。  ボールは少し向こうに停まっていた車の前輪のあたりに、勢いよくぶつかった。  ハヤテは思わず耳をふさいだ。  車はまるで命が宿ったみたいに突然吠え出したのだ。  震え上がらせるようなブザー音。  車のライトが狂ったように点滅を始めた。  何が起こったのか、分からない。
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