ベテルギウスの夜

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「……しかしすごいですよね。星の爆発が半日前にわかるなんて。どこでしたっけ。ニュートリノを検知した観測所」そう言って彼はまたスマホの検索画面に目を向けた。「カミ……カミ……スーパーカミオカンデ。ニュートリノが飛来すると、チェレンコフ光が……。トランスフォーマーかマーベルの映画に出てきそうな言葉だ。日本かあ。遠いけど、一度行って見たいな」  デイヴィッドはそう言うと、スマホを閉じた。  辺りの闇が濃くなった。 「そろそろ、ですかね。ガンマ線が来ないといいけど」  デイヴィッドの口からニュートリノだのガンマ線だのが飛び出すのを聞いて、もともとエンジニア畑のウォルターがつい尋ねた。 「君は理系?」 「いえ。けれど、母と時々こういう話を」 「お母さんは、何をやっている人?」 「中学校で科学の教師を。僕自身は、昔は全然興味なくて、母の言葉を聞き流してましたけど。今になって、ああそうか、と思ったりして」 「今も先生を?」  その問いにデイヴィッドは、さらりと聞こえるように、鼻の奥が痛くならないうちに、さらりと言った。「母は去年の冬、コロナで死にました。母こそ……」この天体ショーを見たかったと思います、と言いかけたが、言葉が続かなかった。  今度はウォルターが謝る番だった。「それは……すまなかった」  デイヴィッドは大丈夫です、と言うように小さく何度も頷いた。それから、少しかすれた声で言った。 「母が死んだ後、怒ってるのか、何もする気がなくなったのか、自分でもよくわからなくて。配達してても、みんなギスギスしてて。どんどん自分が落ちてって。それが続いたとき、父がすごい量のビール買ってきて、『いつか絶対に大声で笑いながら、バーでビールを飲むぞ。コロナに勝ちました、っていうニュースを聞きながらなあ!』って。この闘いに負けないことが、母へ……亡くなった人たちへの手向けになる、って。それを聞いて、ああ、そうだな、と思って、なんとか」  言い終えたデイヴィッドは、この話を他の人にするのは初めてだ、と思った。隣で口数少なく座っている男に、なぜか話したかった。  ウォルターの方は、デイヴィッドが来てから、適当な理由をつけて早くこの青年から離れた場所へ行きたいと思っていた。けれど、次第にその気持ちが薄れていた。  ウォルターが胸ポケットを叩いた。「君、煙草は?」 「いえ、吸いませんので、お気遣いなく」  少し間があって、気まずさを残した声のトーンで、ウォルターがさっきの話の続きに戻った。 「……ガンマ線はほんとに来るの?」  デイヴィッドの声が元気を取り戻した。 「まあ、心配ないとニュースは言ってましたけど。すごいのが直撃したら、僕たちはほぼアウト、絶滅、らしいです。三葉虫もそれで全滅したとかしないとか」  小さい頃、恐竜図鑑に熱中したウォルターが、絶滅、の言葉につられて饒舌になった。 「恐竜が絶滅したニッチを哺乳類が埋めた。次に虎視眈々とその座を狙っているものは、わんさかいるよ。私は、昆虫類だと踏んでる」 「でも、生き残るのはバクテリアくらいだと」 「じゃあ、ほんとにリセットだ。海の泡から生まれしビーナスならぬ、海の泡から生まれしアミノ酸からの再出発だ」 「また長い道のりですね」  デイヴィッドがそう言って、マスクの下で微笑んだときだった。
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