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「ハルコ!」
改札口でハルコの母、ミチコは何も知らず無邪気に手を振っていた。
ハルコが改札を出るとすぐに「おかえり」とミチコはハルコを抱きしめた。
「ただいま」
ハルコは小さい声で答えた。
「車、あっちだから、行こう!」
ミチコはハルコの肩を抱いて車へ案内した。
「窓開けてもいい?」
ハルコはミチコの運転する車が走り出すと窓を全開にした。
ハルコは5月が一番好きだ。山と海に囲まれた景色は、ミントがたくさん入った炭酸水のように煌めいた。それでも今のハルコは心躍らなかった。風を浴びて、泡のようにはじけて無くなりたいような気分だった。
運転席のミチコはハルコの様子が気になった。
「ハルコ」
「なに?」
「どうしたの?何かあった?」
ミチコの問いかけに、ハルコは外を向いたまま、少し間を置いて答えた。
「彼から連絡が来て、別れたいって言われた。さっき」
「えっ!?」
ミチコは大きな声を出した。
「彼って、あの会社一緒だって言ってた人だよね?」
「そう」
「お母さんてっきりハルコはその人と結婚するかと……」
「私もそう思ってたよ」
しばらくの沈黙が車内に流れたが、赤信号で車が止まると、ミチコは本当に不思議、といった表情を浮かべた。
「その彼は何がイヤになっちゃったんだろうね」
「めんどくさくなったのかな。私のせいだよ」と、ハルコは言うと、小さくため息をついた。
久々に帰った実家は何も変わりなく、そのことはハルコを安心させた。
父のイチロウが汗だくになり、作業着にタオルを頭に巻いたスタイルで年季の入った草刈機を持ち、裏山の方から戻ってきた。
「おぉ!ハルコ。悪いなぁ、冷たいお茶くれないか」と言って縁側に腰掛けることも、いつも通りだった。
「ハルコは何泊していくんだ?」
台所へ向かうハルコにイチロウは大きな声で聞いた。
「連休中はずっとこっちにいようと思って」
冷たい麦茶を冷蔵庫から出しながらハルコは答えた。
「そうか!何も考えずのんびりゆっくりしたらいいよ」
何も知らないイチロウの何気ない一言も、今のハルコにはじんわり温かく感じた。
ハルコは冷凍庫から氷を取り出すと、いつもよりひとつ多く、グラスに入れた。
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