10人が本棚に入れています
本棚に追加
保育園から帰る凛子はその日あったことを言葉少なくでも話してくれるのに今日の凛子は全く話さず、外ばかり見ている。努めてわたしを見ないようにしていると分かった。夕ご飯のカレーを食べている時もそれは同じだった。
わたしはわたしで考えなければならないことが沢山あった。どう切り出そう。どんな言葉を選べば凛子を傷つけずに雅子の死を伝えられるだろう。そればかり考えて凛子が何を思っているのか、考えるのを怠った。
カレーを食べ終えるとわたしは話を切り出した。
「それで? 凛子。どうしてあんな癇癪を起こしたんだ? 先生もお友達も怖かったって、驚いていたぞ」
凛子はわたしの顔を見ずに「……だってママの絵を描けって言うから」と言った。
「ああ、もうすぐ母の日だからな。どうして描かない? 雅子は凛子のたった1人のママなんだ。母の日ぐらい『ありがとう』を言ってあげてくれ」
すると凛子の緑色の目に怒りがかっと燃えるのが見えた。
「意味分かんない。ママに『ありがとう』なんてないもん」
わたしは唇を強く噛んで息を止めた。そうでもしないと凛子に怒りではなく、暴言を吐き出してしまいそうだった。『ありがとう』がないとはどういうことだ。雅子のおかげで生きているのにどうしてそんなことが言えるんだ。これでは雅子は無駄死にしたみたいじゃないか。わたしは写真たてを凛子に押し付けた。が、凛子はそれを振り払った。
「パパのばかぁ!」と凛子が怒鳴った。その声は泣いていた。「私はパパしかいないもん……!! ママなんか知らない! 絵をか、……描いてもママ、う、受け取ってーーーくれないしーーーお花あげても、わ、笑ってくれないもん!! ママが何かしてくれたことなんか、1個もない! 『ありがとう』なんか言えない!! ママのこと、何も、知らないもん!」
わたしは混乱した。凛子が大声で怒るなど初めてだったし、ありったけの悲しさをぶつけられたことも初めてだった。それに気を取られて玄関のドアががちゃん、と閉まるまで凛子が何をしでかしたのか気がつかなかった。
「凛子!!」私は馬鹿みたいに名前を呼び続けながらスマートフォンと懐中電灯を持って家を飛び出した。もう凛子の姿は見えない。凛子は脚が早く、予想出来ない行動を取るからよく「小さいスーパーボール」と笑ってからかったものだが、その速さに追いつけないことが今はとても不甲斐ない。何もかもが恥ずかしい。
最初のコメントを投稿しよう!