君とママの話をしよう

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 走ってすぐに小さな人影が見えた。見慣れた後ろ姿が道路の真ん中に立っている。わたしが名前を呼ぶと凛子ははっと振り返った。 「パパ!」  この時ほどパパと呼ばれて嬉しかった瞬間はない。わたしは凛子を抱きしめ、頭を乱暴に撫でた。小さな温もりが失われずに戻って来てくれたこと、凛子が抱きしめ返してくれたこと全てが嬉しかった。  わたしは顔を上げて改めて凛子がいる場所を確認した。誰もいない道路のど真ん中。左右は田んぼと畑。 「こんなところに1人でいたら危ないだろう」  すると凛子はむっ、と唇を尖らせた。「違う。おばあちゃんと一緒だったもん」  わたしは絶句した。駆けついた時は気がつかなかったが、凛子の面倒を見てくれた人がいたのか。それならお礼を言わなければと凛子から離れて道路の先を照らした。しかしそれらしい人影は何も見えない。 「きっと俺が来たから安心して帰ったんだろう。ほら、帰ろう。……仲直りしよう」とわたしは手を伸ばした。凛子はわたしを許してくれるだろうか、手を取ってくれるだろうか……頭の中はぐるぐるそれしか考えられなかったが、凛子はわたしの手を取ってくれた。  家に帰り、お風呂に入った後、わたしはコーヒーを淹れた。1日も欠かしたことない約束事だから今日こんなことがあっても無事にコーヒーを一緒に飲むことが出来て良かったと思った。  わたしはとうとう雅子(ママ)がいない理由を話した。覚悟はしていたが雅子の死を話すのはやはり辛かった。当時の感情が蘇ってくる。わたしですらこうなのだから凛子はもっと辛いはずだ。しかし予想に反して凛子は泣かなかった。それどころか「ママがいなくて寂しい?」と聞いた。頷きながらそれはわたしの台詞だと思った。5歳の女の子が親に向かって言う言葉ではない。 「許してくれ。雅子のことを話すのが辛かったんだ。ごめんな」 「うん、良いよ」と凛子は言った。ああ、なんて慈悲深いんだろう。この子は頑固一徹だとばかりだと思っていた。だが違った。この子はーーー娘はわたしが思うよりもずっと心が成長していた。それにも気がつかなかったわたしは父親としてなんて不甲斐ないんだろう。 「明日、香奈ちゃんや百合子先生に謝ろうな」としか言えなかった。 「うん」と頷く凛子は他のことを考えているように見えた。
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