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「ねえ、覚えてる?」
足を止めて振り返ったのは、話しかけられたと思ったからだ。イルカショーの終了から数分、観客は思い思いのエリアに散ったはず。気のせいだろう。だけど、無視されたなんてネットに書かれると面倒だもんな。というわけで、渋々。
目が合ったのは、1人のお婆さんだった。お婆さん、と呼ぶにはラベンダー色のカーディガンと花柄のワンピースは若々しく、真っ白のヒールを履いて背筋もしゃんと伸びている。顎のラインで切りそろえられた白髪は、グレイヘアと言うべきか。マダムと呼ぶことにしよう。
「私の思い出話、聞いてくださる?」
「思い出話?」
うわあ、長くなりそう。感情がストレートに顔に出てしまうのは、昔からの私の短所だ。
「お仕事中ですものね。ごめんなさい」
「いえいえ、聞かせてください」
手にしていたバケツを同僚が持ち去ってくれたおかげで、暇になってしまった。普段は気遣いのできるいい子なのに、今のは違うよ?今のは。
「そう?ごめんなさいね。押しつけがましくって」
周囲に人はおらず、マダム1人で来園しているらしい。おそらく誰かに話を聞いてほしい気分なのだろう。まあ、一応サービス業か。歌うように胸の前で手を組んだマダムに、一歩分の距離を詰めた。
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