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隣で2杯目のウイスキーをロックで飲む皆藤悠衣(かいとうゆい)は、友人でありビジネスパートナーだ。
日本でダイヤモンドは江戸時代後中期に紹介された。そして限られた人しか目にすることができなかったダイヤモンドも明治時代には広く知られるようになってきた。この頃の上流階級の女性や芸妓は、豪華な宝石で着飾ったらしい。その宝石商の先駆者が悠衣の高祖父である。大正時代になると、多くの宝飾店が宝石の細工や加工の技を競い合うようになり、彼の曾祖父は日本トップの宝石店を作り上げた。
10年前に悠衣とヨーロッパで知り合ったとき僕はジュエリーデザイナーとやっと名乗り始めた頃、悠衣はヨーロッパ各国を放浪中だった。株を動かし資金繰りをし、時にはレストランなどでアルバイトをしながら大学卒業後ほとんど日本に帰っていなかったらしい。
彼は僕のデザインしたジュエリーを見て
「Brent、2年後日本で会おう」
と言い、放浪生活に終止符をうち帰国した。後に知ることとなったのだが彼は日本トップの宝石店“Diamante Kai”の御曹司。しかし悠衣は大学卒業後すぐ“Kai”に入ることを拒否しヨーロッパを回っていた。結果的にそれは彼の美的感性を磨く大切な期間となりビジネスセンスも磨く期間となった。現に彼は経済の動きを読み解き株で巨額を得ている。今も昔もゲーム感覚で続けているのだろう。
2年後日本で彼は高級宝石店“Kai”に違う路線のブランド…高級ではあるが一般的にもう少し手の届きやすい、若い年齢層からの支持も狙った“Pietra Kai”を立ち上げ僕を専属デザイナーとした。ちなみにPietraはイタリア語で‘石’という意味でダイヤ等光る物だけでなく積極的に他の天然石も使っている。立ち上げ当初から“Pietra”の社長は悠衣、そして昨年彼は“Kai”の社長にも就任した。
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