first chapter

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「いらっしゃいませ」  音楽も流れない、ただ大人が静かに酒を楽しむだけの空間。それを彩る程度の囁き声。それに和するようなマスターの声に 「こんばんは」  波立つ心を抑え調子を合わせて返しカウンターの隅、入り口近くに陣取った。細長いカウンターだけの店は半分以上埋まっており、隣とひとつ空けて座れただけでも気が楽だ。 「ウイスキーフロートお願いします」 「かしこまりました」  小さく短いやり取りも波立つ心には有難い。ふーっ、控えめに息を吐くと心が落ち着くのではなく空っぽになる気がした。   「ごめんね、愛実。お母さんたちが…どうしてもちょっと…愛実が来たら縁起が悪いって」  私が行くと縁起が悪いのか…ここへ来る前の友人とのやり取りを思い出していると 「どうぞ」  美しいグラデーションのウイスキーフロートが音もなく私の前に置かれる。軽く会釈で礼を伝えると、しばらく目で楽しみグラスを揺らさないようそっと持ち上げ琥珀色を味わう。味の変化を楽しめるようグラスの角度に気をつけながら味わったあとには、またそっとコースターの上へ戻す。グラデーションが崩れ始め透明な水に琥珀色の靄がかかると…まるで今の私の心中そのものね…と自嘲気味な笑いが浮かぶ。 「遅くなった」 「Hi,no problem」  小さなやり取りがすぐそばで聞こえ急いで隣のチェアに置いていた小ぶりのバッグとストールを手に 「すみません、失礼しました」  自分の膝に避けた。
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