最後の夏

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最後の夏

 公園の真ん中に立ったやぐら。聞き慣れた、曲名も知らない盆踊りの唄。赤い提灯と鮮やかな浴衣の波。熱気に眩暈がしそうだ。  前を行く陽平(ようへい)が「あっ」と飛び跳ねた。人垣の向こうを指差す。日に焼けた腕には光る腕輪がはまっていて、もう片方の手には輪投げの景品だったおもちゃの剣。頭にはキャラクターのお面までつけている。俺は中三にもなってそんなにはしゃぐ気にはなれなくて、陽平に押し付けられた水風船だけをぶら下げている。 「(はじめ)、焼きそば買って」 「なんでだよ。自分で買えよ」 「だってもう金ねえもん。ねえ、お願い」  男の上目遣いなんてかわいくない。かわいくないと思っているのに、結局財布を出してしまう。「肇様あざまーす」なんて拝む坊主頭を、腹立ち紛れに軽くはたいた。  学校ではなんとなく苗字で呼び合っているけれど、ふたりになると自然と名前呼びに戻る。理由なんてない。ただ幼馴染みだから、名前の方が呼び慣れているから。  人酔いして食欲がなくなっていたのに、長い列に並んでいるとなんとなく腹が減ってきた。陽平は最初隣で列に並んでいたが、いつの間にかふよふよと歩いていってしまった。じっとしているのが苦手なのだ。  買ってから見回すと、陽平は所属している野球チームが出している屋台の裏に、チームのメンバーとつるんでいた。ビニール袋に焼きそばのパックと割り箸を突っ込んで渡す。袋をのぞき込んだ陽平は、「食べかけかよ」と文句を言いながら、自然に野球チームの群れから離れ、ひとの少ない隅っこにしゃがみ込んだ。俺は隣に座って、ずるずると焼きそばをすする口元を眺めていた。  陽平の手首にビニール袋がかかっているのに気づく。水の中で、小さな金魚が二匹、ゆらゆら揺れていた。赤いのが一匹と、黒いのが一匹。いつの間に金魚すくいをしたのだろうか。 「金魚、飼うのかよ」 「どうしよっかな。肇、いる?」 「いらない」 「えー、じゃあ鈴木さんにあげよっかな。鈴木さん、家で魚飼ってるって言ってたよね。なあ、喜んでもらえると思う?」 「知らね」  にやける陽平の顔を見たくなくて、そっぽを向いた。中学で同じクラスの鈴木さんは、おっとりとした美人で、どこかお嬢様然としている。いかにも家にでっかい熱帯魚の水槽とか置いてそうな感じ。そんなお上品なお嬢様が、なぜ鈴木みたいな馬鹿とよくしゃべっているのか、俺にはわからない。犬っころみたいに可愛がられてるのかな。  焼きそばを食べ終わった陽平は、目の前に金魚を掲げてぼうっと見ている。 「これで最後かねえ」  陽平がつぶやく。何が、とは聞かない。  中三の夏休み。陽平は、野球の推薦で私立の高校に行くのだという。来年のこの時期は、今以上に野球で忙しくなっているはず。寮に入ったら、帰って来ることも叶わないかもしれない。「はじめくん」「ようへいくん」なんて舌足らずに呼び合っていたころから、毎年の恒例行事だった夏祭りには、来年は行かないのだろう。少なくとも、多分、陽平とふたりでは。  浴衣を着た高校生らしき女子の集団が、高い声でしゃべりながら通り過ぎる。反射のように陽平は彼女らを目で追っていて、そんな陽平を俺は見ている。陽平の手元で、二匹の金魚は静かに泳ぐ。  いつかこいつも、浴衣の女の子を連れて祭りに行くこともあるのだろうか。例えば鈴木さんとか。  そう思ったら、今すぐに陽平の腕を掴んで引きよせて、どこにも行けないようにしたくなる。でも同時に、俺が腹の中にそんな物騒な妄想を抱えているとはつゆ知らず、油断している陽平を、ただずっと友だちの近さで見ていたいとも思う。相反するふたつの気持ちは、俺の中で矛盾することなく共存し続ける。  だからいいのだ。俺がその手の中の金魚になりたいとか考えていることは、こいつは知らないままでいい。
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