6人が本棚に入れています
本棚に追加
/13ページ
喉がつまって、声が出ない。先ほどのおぞましい光景が頭から離れなくて唇をきゅっと結ぶ。同時に指で顎先をなぞられた。
「つめたっ……」
指先の冷たさにまばたきを繰り返すと頬に生暖かい雫が伝う。店主はふっと息を漏らして手の甲で両頬を拭った。
「目をつぶってください」
氷のような体温に、暗闇の住人だと思い知らされた。おそるおそる従うと、頭上からしっとり何かが降ってくる。嗅げば独特の酔いそうな香り。目を開けると店主はスプレーを持っていた。
「香水……?」
「ええ、うちも騒ぎは起こしたくありませんから」
こんな場所でも取り締まりくらいありますよ、と手をとって引き上げられる。笑うべきなのかいまいち分からず曖昧に頷くことしかできない。
立ち上がって気付いたのは天井からいくつものランタンがぶら下がっていて、穏やかな光で顔周りを照らしているということ。だから薄暗いのに必要な部分は見えるのだ。
「ちゃんとこちら側の香りになりましたか」
「えっ」
別のことを考えていると、今度は私の身体を嗅ぎ始めた。髪、首、肩。店主の顔がおりていく。くすぐったくて恥ずかしくて「ちょっと」とどけようとするとそのまま両手を掴まれた。
「いけませんお客様。これはチェックです。我々にとって昼間のお方は――」
両手を纏められて、耳の後ろをくんと嗅がれる。
「とっても甘美な香りが致しますから」
最初のコメントを投稿しよう!