嫉妬心

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嫉妬心

 日が暮れて、腹が空いたわたしは、貴族のお屋敷の裏口に回り、藤白検校に拾われる前、まだ「たろ」とすら名付けてもらえなかった時代にやっていたとおり、少しの食べ物を分けてもらおうとしました。  その貴族の屋敷では宴が開かれている様子で、何やら良い匂いとともに、管楽器や打楽器の音とともに琵琶の音が聞こえてきました。わたしは琵琶を弾かせてもらえない。なぜなら犬に過ぎないからだ、という寂しい想いが胸に去来しました。裏口の戸を叩く頃、それは次第に疑問とともに激しい怒りへと変貌し、わたしの胸を灼きました。  なぜ、盲人が琵琶を弾いて、わたしが弾いてはならないのでしょう。  なぜ、貴族が琵琶を弾いて、わたしが弾いてはならないのでしょう。  同じ人間だというのに、目開きだからという理由で、藤白検校に差別をされている。その事実に思い当たった時、怒りは憎しみに変わりました。わたしは本来の目的も忘れ、奥歯を噛みしめると、大きな声で言いふらすように叫びました。 「目開きの音は聞くに堪えぬ! まことに聞くに堪えぬ!」  わたしが大声で騒ぎ出したので、下女が慌てて追い返そうとしましたが、わたしは裏口から入ることがかなわぬと知ると、ぐるりとその屋敷を壁伝いに周り、聞こえてくる音に合わせて「聞くに堪えぬ!」をやり出しました。そのうちに騒ぎが大きくなり、がやがやと衛士が出てきてわたしを取り押さえました。縄を打たれ、屋敷の中へと連れ込まれ、高貴な人々の宴のど真ん中に、わたしは引き出されました。  庭の池に船が浮かび、きらびやかな御簾の向こうからあえかな声がしました。 「なぜそのようなことを言うのか。そなたに何がわかるというのか」  わたしは笑いながら叫びました。  自分は藤白検校の屋敷の者だと。自分の言ったことは、藤白検校が普段言っていることとだと。目開きの音は聞くに堪えぬと言われたのだから間違いないと。ここにいる目開きは皆、聞くに堪えぬ酷い音を出していると。  そのような趣旨のことを己の鬱憤とともにぶちまけ、高笑いしました。涙はとうに乾いたものの、胸の奥には刃が刺さり、嫌な血が流れ出ていましたが、わたしはそれを見ぬ振りをしました。  御簾の向こうがどうなっているのかはわかりませんでしたが、やがてわたしの汚い言葉に女房連中が泣き出しました。わたしは御簾の一番奥にいる正体不明の貴族に向けて、「お前も琵琶を嗜む目開きなら、藤白検校には気をつけた方がいい」と言い放ちました。  すると御簾の中から、わたしに声を掛けた者が言いました。 「……なぜ、そなたは喋りながら泣いているのだ?」  その瞬間、自分の恥部を見透かされた気がして、わたしはこの高貴な者に対する猛烈な羞恥と憎悪を滾らせました。衛士の静止もきかずにわたしは膝で前へといざり寄り、否定するかわりに大声で叫びました。 「泣いてなどおらぬ……っ! 聞くに堪えぬ琵琶の音に頭痛がするだけだ! よく聞け、目開きの琵琶奏者よ! 藤白検校にどれほど褒められようと、心の中で嗤われていると思え! お前の音など、検校さまの耳には決して届かぬ……!」  わたしがそう暴言を吐いた途端、衛士が振り下ろした棒に打たれ、打ち所が悪かったのか、わたしは気を失いました。
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