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因果応報
次に目を覚ました時、わたしは羅生門に捨てられていました。
「う……」
屍体と一緒にされるのは、気味のいいものではありません。泥だらけの着物をようやく引きずり、わたしは行くあてもなくうろうろと歩き出しました。寂しくて、べそをかきながら、結局気づいたら藤白検校の屋敷へと戻ってきてしまいました。
屋敷に上がるかどうしようか門前で迷っていると、中で怒声がしました。同時に何人もの見知らぬ男のものと思われる乱暴な足音がし、「藤白検校!」と強く呼ぶ声が響くのを聞いたわたしは、驚いていつも出入りしている屋敷の裏手へ回りました。藤白検校に雇われた飯炊き女たちが泣いているのに出くわし、わたしは尋ねました。
「何があったんだ」
「知らないよ、でも、検校さまが連れて行かれてしまうよ」
「お役人が急にきたんだよ、検校さまが何もしでかすはずないのに」
その声にわたしは取り乱し、急いでいつも藤白検校のいる座敷へと向かいました。
そこで、罪状を読み上げる検非違使の野太い声を聞いたのでした。
「天皇愚弄の罪により、死刑に処す!」
大人しく参れ、との声に、一瞬息を呑んだ藤白検校は「……何かの間違いでは、」と問いただしました。怯えた中にも凛としたその声は、小さく震えていましたが、よく通る声でした。
「そなたの家の者が「目開きの音は聞くに堪えぬ」との主上への暴言があった旨を申し出ておるのだ。申し開きは主上の前でせよ。連れて行け!」
縄を打たれ、琵琶とともに運ばれてゆく藤白検校に、わたしは思わず青ざめた声で、鋭く「検校さま!」と呼び止めました。取り巻きたちの人だかりを縫い、検非違使の静止を振り切って、藤白検校の足元にまろび出たわたしは、かの人の足の指にわずかに指を付け、頭を下げました。
「後生です……検校さま……っ」
藤白検校の足指は、氷のように冷たく澄んでいました。列が止まり、わたしが額づき震える声で、その暴言は自分の作り話だと告白しようと頭を上げた時、その言葉を押しとどめたのは、瞼の裏に青白い炎を宿した藤白検校の「如何した? 若者」という声でした。
たろ、と呼んでしまえば、わたしに罪が及ぶと思ったのでしょうか。
それともわたしの罪を見透かし、切り捨てようとしたのでしょうか。
もしくはわたしの罪を知った上で、わたしを許し、庇おうとしたのでしょうか。
藤白検校の言葉の刃は鋭く、どれが本心であったかを、わたしは知ることができませんでした。ただ、鋭く静止した、有無を言わさぬ声にあらがうように出てきた言葉は、わたし自身をその後、終生束縛するものでありました。
「お慕い申し上げております……検校さま」
謝罪の言葉を吐くはずが、出てきたのはそんな役にも立たない告白でした。わたしは青ざめ、唇を噛み、拳を握り、己の無力を恥じました。同時にどれほど理不尽に我をぶつけられようと、藤白検校はわたしの崇拝の対象なのだと思い出しました。わたしのうめき声に似た言葉に、藤白検校は何を思ったのか、ぴたりと停止しました。
そして、最後の一曲をわたしの前で奏じてくださいました。
「ひとへにかぜのまへのちりにおなじ……」
朗々と歌い上げた藤白検校の声からは、青白い炎が立つようでした。周囲の空気を震わせ、藤白検校は静寂の中にひとりいました。永遠に終わらねばいいと思う藤白検校の声がついえた次の瞬間、検非違使の群れがすすり泣き、居合わせた家の者たちが咽び泣いておりました。
藤白検校は撥をわたしの手の横にぱちりと置くと、震えながら頭を上げることのできずにいるわたしの後頭部を、最後にひと撫でし、そのまま立ち上がりました。
「……最初で最後になってしまいましたね」
ぽつりと言い終わると、藤白検校は検非違使に再び縄を打つようお命じになり、静かに、一度も振り返ることなく、屋敷をあとにされました。
明朝、藤白検校の首のない遺体とともに、琵琶もまた返却されました。
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