犬の忠誠

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犬の忠誠

 藤白検校が殺されてから、わたしは罪悪感の嵐にもみくちゃにされ、その琵琶を抱えたまま、三日三晩泣き続けました。遺体は荼毘に付され、どこぞの寺に埋葬されたようでしたが、首だけは返ってきませんでした。何でも主上がその首を肴に宴を開いたとかいう噂が都を駆け抜け、わたしは四日目の暁に、盲目になりました。  いえ、琵琶を抱いたまま涙を拭った拍子に、握っていた撥のことを忘れてしまって、それが眼球を傷つけたようでございますが、確かなことは覚えておりません。何しろ、ずいぶん昔のことです。  わたしは琵琶を受け継ぎ、撥を貰い受けてから、懸命に稽古に励みました。  目開きの時にはぼやけて聞こえていた音が、盲目となった今は、まるで湖面に水滴が垂れるような正確さで聴こえるのが何とも不思議なことでした。  その時になってわたしはやっと、藤白検校の言っていた言葉の意味がわかったのです。藤白検校はわたしたち目開きが琵琶を奏でることを決して良く思っていませんでした。盲目になってわかったことですが、目開きの世界は我々には、少々眩しすぎるのです。それは音にも反映され、たまさかにきらきらと目裏(まなうら)に光が散るような幻覚を視せます。  ですから我々盲目の者は、目開きの音を好みません。決して渡れない向こう岸で、決して我々の出せない音を、時々燦々と出す者が現れるその心境といったら……。まずその岸辺に長く立つことは、非常な苦痛を伴います。  藤白検校はわたしの音を「盗人」と評しましたが、それはおそらくわたしが、藤白検校が使っていた琵琶で、決してあの方の出せなかった音、もっと言うなら目指していた音を奏でてしまったことが原因だったのでしょう。たかが子どもの遊びで出した音に自惚れるわけではありませんが、きっと藤白検校には、あの時のわたしの出した無邪気な音が眩しすぎたのだと思います。  あれが藤白検校なりの賛辞だったのだと、今ならすんなり理解できます。だからあの方は、自分にないものをわたしに掴み取れと、その琵琶により最後に力を振り絞り、お命じになられたのだと思います。  しかし、あの方の最後の音を耳にしてより、ずっと長年、琵琶を奏じてきましたが、どうしても当時の藤白検校の境地を越えることができないでいるのは、わたしに余命という、漠然とした猶予が許されているからかもしれません。 (……最初で最後になってしまいましたね)  藤白検校に掛けられた最後の言葉の意味が、この頃わたしはやっとわかってきたような気がするのです。あれはそう、最初で最後の稽古という意味だったのではないかと思うのです。わたしがこうして琵琶を弾き続けることを、藤白検校は予見しておられたような気さえします。  いえ、確証はございません。  しかし感じるのです。目開きだった頃には感じられなかった、彼との間にあの時結ばれた一本の細い糸が、今もわたしを導いている気がしてならないのです。  人々は、暗闇の中で何を負け惜しみを、と嗤うかもしれません。  しかし、今もわたしは、脳裏に流れるあの琵琶の音を聴くことができます。  朗々と歌い上げられたあの一節が、わたしの耳を離れることはございません。  =終=
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