火曜日

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「やあ、こんにちは。なんだか随分と急いでるみたいだけど、ひょっとしてストーカーの心当たりが見つかった?」 「いや、そうじゃなくて、友達が――」  言いかけて私は口を噤んだ。視線を感じたからだった。一瞬ストーカーかと背筋が寒くなったが、すぐにそうではないことに気づいた。視線は視線でも、それが複数だったからだ。  ああ、そうか。私を見てるんじゃない。みんな、結城さんを見ているんだ。  近くにいる女子大生二人組の間で「あの人かっこよくない?」「ほんとだ。けっこうイケメンだね」という会話が繰り広げられている声が風に乗ってかすかに聞こえてきた。  だめだ。目立ちすぎだ。ストーカーが誰で、どこから見られているかわからない以上、今の状況は非常によくない。とりあえず今すぐここから離れよう。 「結城さん」 「うん?」 「行きましょう」  結城さんの右腕を引っぱり上げて無理やり立たせると、そのまま校門にむかかうべく足を進め始めた。彼は不意をつかれたという感じで少しの間唖然としていたが、慌てて読んでいた文庫本をクラッチバッグに押しこむと、しっかりとした足取りで私のあとについてきれくれた。鞄の中に入れる際、ちらりと見えた表紙には『明治開化安吾捕物帖』と書いてあった。   やがて大学から少し離れた場所にある公園の入り口が見えてきたので、もう大丈夫だろうと思い、 「結城さん、ちょっと目立ちすぎです。あれじゃあ意味ないじゃないですか」  と、隣を歩いていた彼にむかって言った。自然と顔を下から見上げる形になる。 「木崎さん」 「はい」 「手、そろそろいいかな。少し歩きづらくて」 「え、あ、ごめんなさい!」  私は結城さんの腕から慌てて左手を離した。すっかり忘れていた。とにかく一秒でも早く学校から遠い場所に行こうということしか頭の中になかった。 「謝らないでよ。逆に傷ついちゃう」 「は、はあ」  恥ずかしかった。夢中だったとはいえ、自分のしてしまった行動が。そして彼の「謝らないでよ」という台詞と、それと共に顔に浮かんだ優しい微笑みが。わずかに覗いた唇の隙間から八重歯が見えた。
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