ハロー・ママ・グッバイ【短編】胸糞注意

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 これが、俺の毎日の朝の風景。  俺は何故だか母さんが怖い。とてつもなく怖い。だから母さんがパートに行くまで部屋から出られない。8時20分に母さんが家を出る。そこから俺は急いで部屋を出て学校に走る。遅刻ギリギリ。  いつから怖くなったかは明確に覚えている。  俺が小学4年の10月3日。  やけに早朝に目が覚めて喉が渇いてリビングに向かうと恐ろしいものがいて気絶した。  その日は多分学校は欠席したのだと思う。それから俺は俺を心配で様子を見に来る母さんを見かけるたびに気絶した。その日は最悪だった。ずっと母さんが枕元にいた。恐怖で心臓が止まるかと思った。実際止まりかけたんだと思う。体中の体液が出尽くしてカラッカラで震えも止まらず夜半に入院した。よく覚えてないけど救急車に乗ったのは多分あれが初めてだ。  入院後も母さんが1人で見舞いに来ると俺の症状が劇的に悪化したから母さんは出禁になった。俺には父さんと姉さんがいてそれとなく母さんと何かあったのか聞かれたけど、あれは母さんじゃない恐ろしいものだということしか答えられなかった。  母さんに何かされたのかと聞かれたが、そんな事実自体はないから否定した。本当に何かされたわけではなく、ただただその存在が恐ろしかっただけだから。  俺についた病名は不安症とパニック障害だった。  その後、他の誰かと一緒にいるのであれば母さんへの恐怖が少し安らぐことに気がついた。きっと他に人がいれば酷いことはされないだろうという思い。  人がいるならば、母さんが振り上げて振り下ろす包丁がゴトンとなる音がしても肩がびくりと震えるのを体中の小さな痙攣に留められる程度、目の前から視線を受け止めると奥歯がガチガチ鳴り始めそうになるのをなんとか噛み締めて我慢できる程度にギリギリ留まる範囲には。だから夕飯時でも父さんか姉さんが一緒にいるならだいぶマシで、ビクビクしながらも表面上は普通の家族のように暮らすことができるようになった。  それが中学に入ってしばらくたった時で、今はそれから4年経ってる。そんな形で生活は安定し、家族の中ではきっと俺はもうすっかり治ってあの時は何か突発的におかしくなったんだろうということでカタがついている。けれどもあの時の様子があまりにも尋常じゃなかったから、父さんも姉さんも再発を恐れてなるべく俺と母さんを2人にさせないようにしてくれている。母さんも俺の部屋の鍵を持ってるけど無理に入ろうとすることはない。
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