ナトゥール村の誘い

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 太い幹の根っこで転んだ傷が痛み始めた。何とか耐えてきたが、限界かもしれない。  数時間前に日は沈み、そこには何もなかった。夜の空気は底まで影を落としていた。青年は疲労していた。  どこを歩いているのかも判らず、ひたすら真っすぐに一歩一歩踏みしめてきた。草木は生い茂るばかりで、通るたびに小さい虫たちがはねた。  顔を上げても雲の隙間から月がのぞいているのみ。  細い足を引きずりながら、大地を蹴った。  青年の視界の前方から赤黒い炎が見えた。開けた大地を照らし、地球は動いているんだぞと言わんばかりに火の粉が舞う。  月明りしか頼るものがなかった状況が少し変わったことに青年は一安心した。  改めてこの場所が暗闇であることを提示する暗源のように感じられた。人類に火という概念をもたらした者に感謝した。  視界が薄れていく中、着実に一歩ずつ歩いていると人の声が聞こえてくるようになった。大人数で歓声をあげて、お祭り騒ぎの波が打ち寄せる。 「あと、すこ、し……」  喉が渇ききって、唇がパリパリだった。何回も舌で舐めてごまかしていた。  歓声がもう一度起こると、それに比例して炎が燃え上がった。  眼前が土に染まった。いつのまにか地面と平行になっていた。口を動かして訴えようとしたが、夜の闇にまぎれた。 「おい、その子大丈夫か?」 「まだ起きないな……」 「病院なんて開いてるわけないし……」  三人の視線が青年に降りそそいだ。途切れ途切れの意識を何とかつなぎ合わせた。 「………………」  青年は瞼を軽く開けた。 「おい、起きたぞっ!」  屈強な男が仲間を手招きした。呼ばれた二人は同時に青年を覗き込んだ。男はその二人を振り払い、距離を取るように言った。 「大丈夫か……?」  前腕で支えられた青年の身体は先程より生気が戻ったようだ。 「ちょっと!そんな乱暴にしないで、私がやる」  そばにいた年配の女性が男達と代わった。年齢の割に老けているが、柔和な感じが出ている。 「…………わたし、生きてる……?」 「そうよ。ケルコっていう男の人があなたを見つけたの」 「おぉよ。びっくりしたぜ。君が倒れていたから」  青年は身体を起こした。年配の女性は髪の毛の汚れを払って、手に持っていた櫛で整えた。 「私の名はアルビ。これ飲んで」  アルビが差し出したのは竹筒だった。容器として使用するために小さく切られていた。青年は両手で受け取り、飲んだ。五臓六腑に染み渡るような快感を得た。 「……あなたの名は?」 「……奈江、です」 「ナエ?」 「…………はい」 「もう大丈夫よ」  はい、と返事する前に奈江は眠りについた。周りの人間は慌てたが、「安心したんでしょ」とアルビが言うと納得した表情になった。  翌朝、村人たちはいつも通り朝餉の準備をしていた、アルビ家も同様に。今日は客人のための器が用意されていた。  二階の六畳の部屋にベッドが一つ。壁の色は白、単調な造りである。窓から差し込む光が床を照らして朝の空気を醸し出す。  奈江は片目を開けた。何が起こったか判然としないまま身体を半分起こす。瞼の外が明るいことに違和感を覚えた。掛かっていた布団をはがして、ベッドから降りた。  窓際の写真立てが入ってきた風によって倒れた。もう朝になっていることに気が付いた。写真立てを元に戻し、辺りを見渡す。 「そういえば、昨日……」  大きい幹に突っかかって転んで、足を痛めた。それ以降、引きずりながら歩いたのは覚えている。それから、赤いものが見えた。  一旦、ベッドに座った。一気に不安が襲ってくる。何かされただろうか。 「あ、起きたんだ、おはよう」  思案中だったため、気が付かなかった。優しそうな女性が入り口に立っていた。こちらに近づくや否や竹筒を差し出した。 「これ、飲んで。少し酸っぱいかもしれないけど」  言われるがまま口に含んだ。 「…………っ、酸っぱいけど、うまい」 「よかった。苦手な人も多いから」 「あの、いまは朝ですか?」 「そう。村の人が倒れていたあなたを発見してみんなで介抱してたら、ナエちゃんが起きたの。だけどすぐに眠ってしまったから、ここに連れてきたの」 「……そうだったんですか。すみません」 「いえいえ、死んじゃったかと思ってびっくりしたよ」 「……あれ、名前」 「あ、そう。起きた時に言ったから。私はアルビね」  奈江はアルビの出した手を握った。アルビはその手を柔らかく両手で包み込み、同じ目線になって抱擁した。  その後、二人は雑談に興じた。奈江の表情は徐々に明るくなり、自分のことを話せるようになった。  老若男女の村人たちとあいさつを交わした。村長と呼ばれる老人が村人全員に奈江を再度、紹介した。多くの拍手を前に奈江の胸にこみ上げてくるものがあった。
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