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ナトゥール村に来て三週間が経った。村民の一人として奈江は溶け込んでいた。
ある日、午前中の仕事が終わり、村人たちと昼ご飯を食べていた頃。奈江は疑問に思っていたことを訊いた。
「私が倒れた時って、皆さんで何をしてたんですか?」
「あぁ、あれは月一回の集まりだったんだよ。村人はなるべく参加して状況報告しあうんだよ」
奈江の発見者、ケルコが答えた。
「へぇー。そうだったんですね」
「まぁ、俺らはそんなの関係なくあそこに集まって騒いでるけどな」
ケルコは軽快に笑いながら、握り飯を口に入れた。奈江は気持ちの良い食べ方をしていた男達に夜、あの場所に行きたいと申し出た。ケルコを含めた一同は快く承諾した。
自分は長くここにはいられないだろう、そんな気がしていた。ここ数日の間、村人の名や村の名称を忘れてしまうことが度々あった。そればかりか、起床して、「ここは、どこ」と完全に自分を見失うことがあって怖くなった。
「……ナエ、どうした?」
「……あ、いえ。夜楽しみです」
努めて明るく返事した。
ケルコ率いる男たちは、どんちゃん騒ぎをして、そこかしこに酒が転がっていた。
ここに来るまでの道中、頼るものなく村人たちはお構いなく突き進んでいたので、奈江はあの瞬間を思い出して孤独と恐怖が浮かんだ。しかし、目の前の炎の鼓動を眺めていたら、この暗闇も悪くはないと感じるようになった。
「ナエは楽しんでる?」
隣にいたアルビは酔い気味だった。男たちの姿を見て呆れていたが、楽しそうでもあった。
「はい。本当にここにきて良かったです」
「……そう」
ケルコは輪の中に入ってくるよう奈江に呼びかけた。アルビが背中を押して促した。
奈江は村人に負けないくらいの踊りを見せて観客を沸かした。ケルコは新入りの踊り子が現れたぞと発破をかけ、さらに周囲を盛り上げた。
騒々しい時間が過ぎ、村人たちは倒れるように眠ってしまった。腹をだしていびきをかく者や寒さでうずくまる者がいた。
夜風が肌を撫で、小さな明りを揺らした。ぐっと空気が冷え、アルビに借りた上着を纏った。そのアルビは横になって眠っていた。
「おっさんたちは眠るの早いな」
奈江と同年のガラが笑った。
「本当、あんだけ騒いでたのに」
同年のライロも微笑んだ。
「二人は寒くないの?」
奈江は息を吐いた。
「まぁ、慣れてるからね。今日はまだ気温は高いほうだよ」
ガラは焚き火に枝を投げ入れた。あぐらを組んだ足をくずして片膝を立てた。
「来週もあるからナエも参加してよ!」
ライロの誘いにガラも同調した。奈江は「うん」と短く答えた。
「どうした?寒い?」
ガラはもう一着、上着を掛けようとした。
「ううん。なんかさみしくなって」
「あー、あるある。あれだけうるさかったからね」
ライロは立ち上がり、奈江の隣に座った。
「本人が寝てるから言うけど」と前置きし、「ケルコおじさん、一番心配してたんだよ、ナエのこと」
火の中心でパチパチと鳴った。
「数週間前、ケルコおじさんの大親友が亡くなったばかりでさ」
「え……?」
「みんなで見送ったばかりなんだよ。その時何もできなかったことが悔しくて。だから、ナエを介抱してたとき必死だったんだよね。あんな風に笑ってるけど、心はまだ癒えてないと思う。死ぬな!若い奴が死ぬな!って何度も言ってた」
「…………そうだったんだ」
奈江の心は誰かに押し付けられたように縮こまった。自分の胸に手を当て、一呼吸した。
「その大親友だった人の名前は?」
「サルセラ・ロドさん。背が高くて優しかったよ」
娘の瞳に、決意が走った。
「サルセラさんの好きだったものとか、ある?」
「ナエ、起きてる?」
一階の方から声がした。
普段よりも一時間前に起床して、机に向かっていた。
「なんだ、起きてるんだ。もうご飯できてるからね」
「あ、はい」
奈江は作業を止めて、一階へ降りた。
午前中は木からクスリの実を採って、きれいにするのが大半だった。
クスリの実はナトゥール村の人々にとって一番馴染みのある食物である。食卓に出てくる料理に必ずと言っていい程使用される。
「ねぇ、ガラどこにいるか知ってる?」
クスリの実が大量に入った竹かごを積み替えていた所へ、ライロが尋ねた。
「んー。見ていないかな」
「そう。いたら村長のところに来てって伝えて」
娘はその背中を見送った。
しばらく同じ作業を続けていたが、疲れてしまったので軽く伸びをしていたら、アルビから「休憩していいよ」と言われ、甘えることにした。
十分程休んでいたら、ライロの言葉を思い出してガラを探すことにした。
昼に近い時刻ということもあって人々は朝の時間帯と比べると動きが鈍くなっていた。特に、子らは飽きて遊び始めていた。
村の入り口まで来たがいなかったので引き返そうと思ったとき、人の話し声が聞こえた。奈江の視線の先にガラがいた。その隣に女の子の姿も目に入った。
二人が離れたので、小走りでガラに駆け寄った。
「ガラ、ライロが呼んでたよ。村長の所に行ってほしいとか」
「お、そうか。行くわ」
「あの子、誰だったの?」
「見てたんか……。隣の村にいる女の子でさ。仲良いんだよ」
「へー」
「おっさん連中には言うなよ、めんどくさいから」
ガラは口の前に人差し指を立てた。
「あの、なんか渡してたよね?」
「あぁ、ネックレスね。クスリの実の」
「クスリの実って食べるだけじゃないんだ」
頭二つ分違うガラを見上げて言った。
「贈り物として渡すんだよ。あなたのことを想っているっていう意味があるんだけど」
「いいね、そういうの」
「まぁ、いろんな意味があるらしいけどね。だから、友達同士とかでも渡したりするし」
「…………」
「恋人同士だと、また違うものを渡すんだよね」
「それだっ!」
ガラの言葉に割り込んだ。
「どうした、どうした」
「あ、ごめん。そのネックレスって友人同士でも良いんだよね?」
「そ、そうだけど」
「じゃあ――――」
夕方以降は集会の時間まで自由時間となった。
「ナエ、大丈夫?疲れてたみたいだけど」
「あ、大丈夫です」
緊急にせざるを得ないことが頭の中を占めた。集中できず、手足が宙に浮いているようだった。
集会までには。
長い髪をかけ、机上の鉛筆を手に取った。
後はこれを持っていき、置くだけ。窓の外は暗くなり、村人たちは集会の準備をしていた。急いで階段を降りた。
「ナエ、もうすぐ集――」
「すみません、遅れます!」
彼女の目に悲しみの色が見えた。
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