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駅前のちょっとおしゃれなレストランで忘れ物のコートを無事に受け取って、結城さんはそれを見に着けた。途端に結城さんの雰囲気が変わる。何というか、物凄く大人っぽい……。
ついでにマフラーも忘れていたみたいで、結城さんは恥ずかしそうに笑った。
「ついて来てくれてありがとう。心強かったよ。この時期に防寒着を店に忘れるなんて、恥ずかしすぎるからね」
「俺は何もしていないですよ」
「そんなことないよ。傍に居てくれたじゃないか」
結城さんが微笑む。優しい笑顔。でも、とても儚げな表情。
俺は、結城さんの手を握った。
「……うちの店、また来てくれますか? 凝ったメニューとか、流行りの映えるメニューとか無いけど……また、お会い出来たら嬉しいです」
結城さんは一瞬だけ悩んだような空気を出した。
違うんだ。困らせたいわけじゃない。
けど、約束をしないとこの人はどこか遠くへ行ってしまう気がした。
結城さんは目を細める。そして、手に持っていた黒いマフラーをそっと俺の首に巻いた。
「もちろん、また行くよ」
「本当ですか?」
「嘘は吐かないよ。それに、ほら。マスターに借りた服を返さないと」
「直接返しに来て下さいね。宅配便じゃなくって」
「分かった。約束する。その時に、そのマフラーを返してもらおうかな」
俺は自分の首元に触れる。温かい。ふわっと香水だかシャンプーだか分からないけど、爽やかなにおいがする。大人のにおい。どきどきする。
結城さんはコートのポケットからボールペンと何か小さな紙を取り出して、それにさらさらと何かを書き足した。そして、その小さな紙を俺に手渡す。それは名刺だった。
「これ、僕の連絡先。今書いたのはプライベートの携帯番号。何かあったら連絡してね」
「あ、はい。俺の連絡先は……」
「ふふ。カフェwalnutだね。場所は覚えたから大丈夫だよ」
「そうですか……」
俺は手渡された名刺を見る。
結城冬真。
A社。最近良く聞く会社の名前。
代表……代表!?
「あ……え……?」
情報量が多すぎて頭がついて行かない。
えっ、この人、会社の社長さんなの!?
「それじゃ、なぎさ君。またお店行くね」
俺の頭を軽く撫でてから、結城さんは駅に向かって歩いて行った。
俺はその姿をぽかんと眺める。
――僕のところに来る? なんてね……。
家での結城さんの言葉の意味を、今になって理解した。
マジか。社長って……マジか……。
「社長って、もっと威張ってるオッサンじゃないの?」
呟いた俺の言葉は人混みの空気にかき消された。
どうやら俺は、とんでもない大物を拾ってしまったらしい。
手の中の名刺をぎゅっと握る。
そこにあるはずの無い結城さんのぬくもりを、僅かに感じた気がした。
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