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結城さんは紅茶をひとくち飲んでから続ける。
「彼女はとある病院の医院長の娘さんだった。具体的に式の日程が決まっていたわけでは無かったけど、結婚を前提に付き合っていた」
――病院は、嫌です。
そういえば、結城さんはそう言った。なるほど、嫌な思い出がある病院には行きたくなかったわけだ。
けど、心配だ。倒れていたわけだし……。
俺の気遣わし気な視線に気が付いたのか、結城さんは苦笑する。
「病気で倒れていたわけじゃないよ。居酒屋で日本酒を一杯吞んだんだ。僕、お酒がめちゃくちゃ弱くてね、それだけでふらふらになっちゃって……それで、あのゴミ捨て場で寝ちゃっただけだから」
「ああ、そうですか……」
「ごめんね、心配かけて」
ぽたり。
紅茶の中に水滴が落ちた。
それが結城さんの涙だと気が付くのに、数秒かかった。
「あ、あの……」
「ははっ。ごめん、僕、まだ酔ってるみたいだ」
結城さんは腕で自身の両目を隠す。肩を震わせて、苦しそうに息を吐いている。俺は、たまらずその肩に触れた。
「結城さん……」
「……ごめん」
するりと長い腕が伸びて来て、俺はあっというまに結城さんの腕の中に閉じ込められた。大きな悲しみを背負う広い背中を撫でると、結城さんは声を出すことはしなかったけどひたすらに涙を零し続けた。
こんな時、どうするのが正解なのか分からない。けど、何かしないと。
俺は結城さんの頭を撫でた。その時、玄関のドアが開く音がした。足音がどかどかと近付いて来る。この気配は……。
「な、なみ!」
「……!」
妹のなみが塾から帰って来た。
なみは両手で頬を包んで叫ぶ。
「あー! お兄ちゃんが彼氏連れ込んでる!」
なみの大声に驚いたのか、結城さんの涙はいつの間にか止まっていた。
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